WE BECOME WHAT WE THINK ABOUT

自己愛改善ラボログ

心の中にずっとあったのは疎外感だった。

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私の中で何度も何度も再生されている記憶。

 

 

妹と父と私の3人で遊んでいて、私がズルをしたと父から非難され、

 

すごく辛い思いをした記憶。

 

そして、姉と妹に無視された記憶。

 

他にも姉の友人たちの仲間に入れてもらえなかった記憶。

 

あとは記憶というか、父がいなかったために、

 

いつも家には男一人だった事実。

 

男性性を感じるような言動は自然と自分の中で封印されてきたように思う。

 

 

疎外感をいつしか感じないように、ひたすら抑圧して生きてきた。

 

でも冷静に人生を振り返ると、何度も何度もこの疎外感を味わう現実を

 

引き寄せ、繰り返して生きてきている。

 

 

疎外感を感じたくないために、自分から人を遠ざけたり、

 

冷めた態度を取ってしまったり。。。

 

 

どんな集団に属しても、いつも溶け込めない気がしていた。

 

 

感情は味わって、解放することが大事だって。

 

疎外感を感じてきたことをまずは認めよう。

時間軸という概念の檻の中で、今を忘れた時、創造性を失う

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過去と、今と、未来が、連続している必要はない。

 

なぜなら時間軸という概念は人間が創り出したものだからだ。

 

以前にそんな記事を書いた。

 

 

一方で、過去という記憶をベースに、今を構築している。

 

そして今という瞬間を使って、未来に対して不安や心配をしたりするなら、

 

感情を伴ったイメージとして臨場感が増していき、確実にそれが今になる。

 

 

「過去→今→未来」という構図は、過去の記憶を用いて、

 

今この瞬間に、未来をイメージしてしまうことが原因なんじゃないか。

 

 

逆に「未来→今→過去」という流れで考えると、

 

いかに今この瞬間に、過去から自由になって、未来を創造するか、

 

という発想が奇跡を連れてくるんじゃないか。

 

 

今の自分も、現状も、瞬間瞬間、新しくなるチャンスがある。

 

 

そして、自分の失敗は、過去の記憶に縛られて、

 

自分の可能性を否定し、未来をどんどん先細りにしていたということだ。

 

 

昨日から、4〜5歳の頃の自分の在り方に戻ろうと思っている。

 

過去の記憶に縛られず、自己否定というブレーキをむやみに踏まず、

 

気分の良くなることに貪欲で、他人のせいや環境にしなかったあの頃へ。

 

自己否定こそが、人生が上手くいかない、究極のトリガー

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信じているものを私たちは見ている。

 

信じていないものを私たちは見ることができない。

 

 

つまり、自分が嫌だと思っている(信じている)と、

 

自分が嫌になるような現実を見ることになる。

 

 

「どうせ私にはできない」、「私はダメな人間だ」、

 

「私は誰にも愛されない」、「私にはふさわしくない」など、

 

自分を否定するような言葉を脳内で何度も繰り返せば、

 

それはアファメーションとなり、臨場感が増し、

 

やがてそのイメージは現実と大差ないパワーを持つ。

 

 

そして、冒頭の「信じているものを見る」として

 

現実に引き寄せられてくる。

 

 

もし、何をやっても上手くいかない、

 

今この瞬間がどうしようもなく苦しいなら、

 

まず自己否定をやめる。

 

ネガティブなセルフトークを止める。

 

否定のエネルギーを増幅しない。

 

脳内に否定の住処を作らない。

 

 

そしてもし少しでもまだ力が残っているなら、

 

いい気分になれるように思考を変えること。

 

変えられないなら、せめて無に近づくこと。

 

 

私は決めます。

 

自己否定を終わらせることを。

 

健康になってはならない 〜自分の心を縛る禁止令に気付く〜

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昨日から、ふと閃いたアファメーションを繰り返し唱えていて思ったことは、

 

「健康になること」に対して恐れている自分がいるということでした。

 

 

恐れという感情がハッキリあるかというと微妙ですが、

 

確実に抵抗している部分が見えたんです。

 

 

以前、「健康なること」に対して、自分はどんなデメリットを感じているのか

 

自分なりに書き出してみたことはあったんですが、

 

それは大人としての現在の自分の視点で、

 

本当はもっと奥に子どもの頃の自分が獲得してしまったものがあったんです。

 

 

それが「健康になってはいけない」

 

いやいやそんなバカなって自分でも思うんですが、

 

思い返してみれば子ども心に健康じゃない時の方が愛してもらえたと

 

感じてしまったとしたら、今もただ純粋にそれを望んでいるのかもしれません。

 

 

私の家庭は父が仕事や浮気でほとんど不在だったため、

 

ほぼシングルマザー状態でした。

 

2歳ずつ離れた姉と妹がいて、女手ひとつで子ども3人の相手。

 

母もまた生きづらさを抱えたような人だったので、

 

私はほとんど母に認められたり、褒められたり、

 

関心を向けられたような温かい記憶がありません。

 

もちろん大人になった今となっては母は本当によくしてくれたと思います。

 

でも、子どもの頃の私はきっと、病気の時だけ母が私を見てくれると

 

そう信じてしまったのかもしれません。

 

 

私は自分が苦しくなり、誰かに助けてほしい時でも、

 

決して他人に甘えることがありませんでした。

 

と言うよりも「助けてほしい」と甘えること自体ができなかった。

 

その結果としての不健康。

 

苦しい状況を回避するには不健康しか方法がない。

 

今も無意識下でそう信じてしまっているのかもしれません。

 

 

でも、本心では不健康を望んでいる訳じゃない。

 

それはあくまで手段でしかない訳で。

 

だから、もう健康になることを「許す」。

 

 

自分で許さないと、健康にもなれないのかと思うけど、

 

きっと長年かけて禁止してきたものを、

 

当たり前のように受け取るには、許しが必要なんだと思います。

 

 

 

私はすでにこの問題が解決しているということを理解している

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先日、引き寄せの法則に関するセミナーに人生で初めて参加してきたんですが、

 

スピ全開な女性が多く参加されていて正直ドン引きしてしまいました。笑

 

 

ペアやチームを組んで、一緒にお昼ご飯とかも食べたんですが、

 

なんかもう「いかに自分が気付けているか」みたいな会話の被せ合いで、

 

それはもう、途中から相槌もやめてしまおうかなと思うくらいでした。

 

 

引き寄せの法則をいかに理解しているかとか、真実に気付けているかとか、

 

そういうのって本当に自分が満足していたら、

 

アピールし合う必要ないような気もするんですが、まぁいい経験でした(?)

 

 

内容も概念の説明がふわっとあって、あとはプロセスワークで、

 

参加者の悩みに対して、ロールプレイとかを交えながら、色々許して行くんですが、

 

それもお涙頂戴というか会場全体が一緒に涙流してたりしてて、

 

全然肌に合いませんでした。。。むしろちょっと宗教チックで怖かった。。。

 

 

ただその中で、「私はすでにこの問題が解決していることを理解している」

 

というアファメーションはすごく使い勝手がいいなと思い、メモしておきます。

 

 

言葉は何度も繰り返すことで、臨場感を増していくそうなんですが、

 

確かにペアを組んだ人と何度もその言葉を口にしていくワークをした時に、

 

だんだん実感がこもってくる感じがしたんですよね。

 

アファメーションって何度も本で読んでるし、何度も挑戦してきたんですが、

 

今までとは違って、錯覚に近い、なんとも言えない確からしさに届いたんです。

 

 

あとはその問題に対する恐れや抵抗を手放すことや、

 

その問題が解決した自分を受け入れ、許したりしていくことで、

 

引き寄せが少し加速していくんじゃないかなと思いました。

 

 

それにしても自分は引き寄せとか探求しながら、

 

やっぱり左脳人間というか、概念だけじゃなくて、

 

再現性のある理論とか、そういうものが必要なんだなと再確認しました。

 

 

(最近、文体ブレブレだな。。。)

人間が創り出した概念に苦しむ必要はない

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私たちが下している判断のほとんどが、人間が勝手に創り出したものだ

 

私は自己否定のプロだと自負しているのだが、

 

自己否定なんて不自然な行為をしている動物はおそらく人間くらいだ

 

まして自己否定で、可能性をダメにしている動物となればなおさらだ

 

 

良い・悪いとか、正しい・間違いとか、

 

そういったものの考え方は人間が創り出したものだよって

 

ちゃんと理解した上で、必要に応じて人生に用いないと

 

「私はダメな人間だ」とかいう私の十八番でもある内なる会話で

 

人生が危うく詰んでしまいかねない

 

 

〜すべきだ、〜すべきではない

 

〜しなければならない、〜であるべきだ

 

多分、こういう概念の類は全部、嘘だ

 

言い切ってしまうと内なる反論が出てきそうだけど

 

やっぱり概念って創りものでしかないと思う

 

 

だって人間には動物と同じように言葉のない時代があったんだから

今、私の意識は何に向いていますか?

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「私は反戦運動には参加しません。しかし平和活動には参加します。」

  

かのマザーテレサの名言です。

 

一見すると、同じ方を向いているようで、

 

前者は戦争に意識が向いていて、

 

後者は平和に意識が向いている。

 

 

意識を向けるというのは、そのものに力を与えるということ。

 

 

今の自分の健康状態は、自分が不調にばかり意識を向けて

 

良くない気分を味わい続けてきた結果なんだな。

 

それよりも今無理なく健康だと思える箇所に意識を向けたり、

 

感謝したり、感じたり。

 

もしくは健康になった時の状態や態度、気分について

 

考えたり、イメージしたり。

 

そういう意識の方向付けが必要だと気付いた。

 

 

感謝を探したり、物事の良い面にフォーカスしたりするのも同じで、

 

意識や思考のゆく先をしっかり選ぶこと。

 

 

良い気分でいること、良い気分を選択することという記事に並行して、

 

意識や思考の矛先がどこを向き、その矛先に力を与えても良いか、

 

自分なりに注意深く観察していこうと思う。

 

 

2017年、上半期が終わりました。

 

健康面でも、経済面でも、精神面でも、まだまだ課題はありますが、

 

本当によくやってくれていると思います。

 

本当にありがとう、自分。