WE BECOME WHAT WE THINK ABOUT

自己愛改善ラボログ

もう外は見ない。すべては心の中の問題。

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明るくていい気分であることを考え始めて、

 

そして感情は90秒以上継続しないことが分かると、

 

問題を継続しているのは自分自身の思考であると気づく。

 

 

外側の出来事はあくまできっかけであって、

 

それにどう反応するかは個人の解釈に100%依っている。

 

 

だから一番の問題は、他人や出来事のせいにし続けてしまうことだ。

 

自分の解釈に100%責任があるにも関わらず、

 

外側の問題のせいにしてしまう思考を定着させると、

 

そこから抜け出せないまま不快な感情を何度も再体験する。

 

他人や出来事が変わればすべてうまくいくのにと腹を立てたりすれば、

 

自分の解釈次第である思考の自由を手放しているも同然なのだ。

 

 

そして思考を「現状の範囲」で選択するのではなく、

 

(現状の範囲で思考しても、変化は起きない)

 

「理想の範囲」にまで拡大してイメージすること。

 

誰かに話して否定される必要はなく、

 

あくまで自分自身に言い聞かせるつもりでストーリーを語るのだ。

 

 

心の中の思考をいかに管理しながら、

 

理想を思い描けるか。

 

それが現状を変化させていく唯一の手段かもしれない。

 

 

 

夢のなかの私の態度や言動が変わっていく

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このところ、アファメーションを積極的に行っています。

 

お風呂上りに録音を聴いたり、鏡に向かってアファメーションを唱えたり、

 

朝起きてベッドの中でホ・オポノポノを唱えたり。

 

一番は「明るくていい気分になる思考を選ぶ」という言葉を言い聞かせています。

 

そして今日の夢は、その夢の中でも私が私にアファメーションしていました。

 

「愛と感謝と平和の心で人と関わる」という夢オリジナルのアファメーション

 

登場したりして、これは少しずつ潜在意識に取り込まれている証拠かな?

 

そんな嬉しい気持ちになっています。

 

自分の話す言葉や頭の中の思考は当然、脳を始めとした様々な器官に

 

影響を及ぼしていると思うので、積極的に良い言葉を選ぼうと思います。

 

そして短期間であきらめたりせず、成長曲線のイメージで

 

死ぬまで良くなるように繰り返し続ける。

 

そうすれば間違いなく良くなっていくでしょう。

 

 

とにかく結果を求めずに継続あるのみ。

 

実際に、自分に優しい言葉をかけると癒されていくのを感じます。

 

夢の中で変わり始めたら、今度は現実も変わっていくのかな。

 

実験楽しみです。

人生は壮大なゲーム。自分も、現状も、他人も、出来事も、過去も未来も、すべて練習課題。

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今日もまた同居している祖母が聞こえていると知ってか知らずか、

 

「仕事もせんと寝てばっかり」と私の陰口を台所で言っているのを耳にしました。

 

実情は面接も受けているし、選考途中なのですが、

 

祖母からしたら、そう見えるんでしょう。

 

弁解したい考えや、自己否定しそうになる気持ち、

 

悲しみや怒り、いろんな声が頭の中で一気に展開していきました。

 

でも、冷静に「明るくていい気分にはどうすればなれる?」と

 

衝動的に怒りで言い返したい気分を抑えて考える事が出来ました。

 

そして一つの考えが浮かびました。

 

「祖母は明るくていい気分でいるための練習相手なんだ」と。

 

自分一人だけの世界であれば、明るくていい気分になりやすいですが、

 

他人が介入してくると途端に難しくなります。

 

でも、それを今練習しているんだと感じました。

 

そういう観点で考えてみると、自分自身も、現状も、過去も未来も、

 

あらゆる人間関係も、様々な出来事も、実は全部練習だったんじゃないかと。

 

その時、あなたはどんな反応をしますかと、いつも問われていた。

 

そう思えてきたのです。

 

そしてその時々で「自分の意志」以外のもので反応し続ける時、

 

途端に人生の主導権を失ってしまうのではないでしょうか。

 

 

しかも祖母を観察していると、面白いことに、

 

これまでの自分を見ることもできるのです。

 

人の欠点ばかりを探し、そのことに対してまっとうなことを偉そうに言って、

 

自分のセルフイメージを強化し、勝手に怒りを抱いてしまっている。

 

そしてその結果、体に病として支障が出ている。

 

「被害者」として「害」を引き寄せているのです。

 

 

今、いろんなことが人生に起きています。

 

でもそれは間違いなく自分の思考の結果、起こっている気がします。

 

問題として立ち上がるものは、その問題を生み出している思考があるという

 

それはとてもありがたいシグナル。

 

そして現実に反応して同じ思考を繰り返し続ける限り、

 

よりその思考を強化し続けるので、現実はさらに手強くなっていく。

 

じゃあどうするのかは、ここのところ繰り返しているように、

 

ネガティブな気分になったら、新しい思考(解釈)を意図的にする。

 

それですぐに変わるほど現実は簡単じゃないけれど、

 

それでも今までと違う思考を意図的に選択し続ければ、

 

必ず変化は訪れると思うんですよね。

 

根拠なんかないけど、変な確信はあって。

 

それでいて成長曲線から考えて飛躍的にその変化の兆候が見られるのは、

 

1年後くらいかなって感じで、気長に死ぬまでやり続けたい。

 

 

人生をゲームとして楽しめたら、きっとうまくいくはず。

嫌いな人の気に食わない言動にこそOKと言ってみる

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家族にイライラしてしまうことってよくありますよね。

 

同じ家に住んでいれば、同じことでイライラし続けてしまうこともあると思います。

 

そんなとき、少し無理にでも「OK」を出してみます。

 

それは決して相手のためにとかではなく、

 

自分の中にある『〜してはいけない』と自分を無意識に縛っている

 

禁止令を解放するために「OK」を出します。

 

 

例えば、私は「不当に人を嫌ってはいけない」とずっと思ってきました。

 

もちろん世間的にはこの考えは支持されるでしょう。

 

でも嫌いになるものは、嫌いになります。

 

人間ですから。

 

「悪口を言ってしまってもOK」

 

「なんとなくで嫌いになってもOK」

 

いやいやそんな大人アカンやろって自分にツッコミを入れてしまいそうになる

 

そんな考え方にこそ、違和感があったり抵抗があったりしても「OK」を

 

出してみるといいかもしれません。

 

 

私は結構いろんな禁止令を持ってるなと思ったので、ここに吐き出しておきます。

 

「OK」の方で書きます。

 

「人に迷惑かけてもOK」

 

「人の話を聞かなくてもOK」

 

「自分の話ばかりしてもOK」

 

「偉そうにしてもOK」

 

「表裏激しくてもOK」

 

「人に甘えてもOK」

 

「約束を守らなくてもOK」

 

「みんなと仲良くしなくてもOK」

 

これは実際に私が嫌だなと思った人たちの言動を裏返したものですが、

 

あくまで「OK」を出すということで禁止令を緩めるのが目的です。

 

「OK」を出したからといって、それをやりましょうということではないです。

 

でも、「OK」を出しておくと、その行為をしている人を見かけても、

 

イライラ具合が少しマシになっているかもしれません。

 

 

人間だもの、完璧じゃなくてOK、OK。

 

 

 

感情を手掛かりにして、思考の方向性や解釈を変える。

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引き寄せの法則を読み続けてきて、その概念ばかりに触れて、

 

結局立ち行かない人生に絶望してきたけれど、

 

諦めないって大事だ。

 

何度も何度も期待してきた結果、今少しずつどうすれば良いのかが見えてきた。

 

 

まず、感情にとにかく敏感でいること。

 

特に嫌な気分になっている時は「望んでいない」ものを見ている。

 

 つまりはっきりと「望まない」ものが分かる状態にいる。

 

この時に「それでは本当に自分が望んでいるものは何か?」と自問する。

 

自問している間も、そして自問に対して答えが出た時も、

 

私が見ているのは「望む」ものだ。

 

その時、更に感情をよく観察してみる。

 

いい気分や明るい気分になっていれば「望む」もので間違いない。

 

「望む」ものがはっきりと掴めたら、現実がどうであれ、

 

イメージトレーニングの要領でとにかくとことんその「望む」ものに

 

フォーカスし続ける。

 

これでいつも波動は「望む」ものに固定される。

 

 

あとはどうしても「望まない」ものが変えられない場合は、

 

その物事の良い面を探してみる。

 

つまり解釈を変える。

 

同じものを見ていても、必ず二つの面が存在する。

 

嫌な気分がするものに対する解釈をなんとかしてよい気分になれるような

 

解釈へ持って行く。

 

 

この方法で毎日生活していれば、少なくとも状況によって

 

自分の感情が翻弄されることは少なくなっていくはず。

 

状況や他人によって自分が感情的に振り回されてしまっていては、

 

自分で人生を創造できるなんて思えないし、

 

振り回されている時点で自分の人生を創造する主導権を手放していることになる。

 

 

そういう意味で引き寄せの法則が完成するのは、

 

完全に自分の主導で感情も思考もコントロールし、

 

現状に対して自分の意志で意味を付けれらるようになった時かもしれない。

 

 

とにかく、

 

①気分チェック

②嫌な気分がしたら、タイムを取る

③嫌な気分を生み出す「望まない」ものを確認

④意図的に「望む」ものへ思考or解釈をシフト

⑤気分チェック

⑥良い気分や明るい気分になればOK

⑦②と同じ状況や思考になった時に④に意識が向いているかどうか

⑧なっていなければ④になるまでイメージして定着させる

 

をエンリピで練習していく。

 

うまくいったら褒める。うまくいかなくても諦めない。

 

こんな感じで毎日の生活で練習できそうだ。

 

ちょっと光差してきた。

 

 

人生で出会う嫌な人、嫌な出来事には、幸福へのヒントが眠ってる。

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これまで何度となく、私に不愉快な思いをさせる人や出来事に出会ってきた。


未だに思い出しては嫌な感情に揺さぶられてしまうものもある。

 

けれど改めて感じるのは、嫌だと感じるものにこそ価値があるということ。

 

よく引き寄せでワクワクするものを探しなさいと言うけれど、

 

それがさっぱり思い当たらず、どこに出かけて、誰に会えば見つかるのか、

 

いつもワクワク迷子になって、途方に暮れてしまう。

 

それもそうだろう。

 

日本人、というか人間の性質なのかもしれないけれど、

 

ダメなことに関してとにかく世間が放っておかない。

 

褒めるよりも、裁くことの方が得意な人が多いんじゃないだろか。

 

そうなると良い面を見つける力よりも、

 

悪い面を見つけて是正していく力が鍛えられていく。

 

ワクワクすることを簡単に探せなくて当然なのである。

 

そこで嫌なことが役立ってくる。

 

嫌だと感じるのは、自分の大切にしている価値観に沿わないということ。

 

例えば私は相手に対して偉そうな人を見ると嫌な気分になる。

 

それが年上であっても、権力者であってもだ。

 

つまり私の望むもの(ワクワクと言うにはちょっと違うかもだけど)は、

 

もちろん社会的な上下関係で尊重し合うのは良いとしても、

 

フラットな関係性をいつも欲しているんだと思う。

 

その価値観も過去を元に形成していて、

 

おそらく母に対する父や父方の祖父の横柄な態度に、

 

子どもながら傷付き、怒り、もうこんな思いはしたくないと感じたんだろう。

 

そうやって人生を丸ごと振り返ると、

 

社会に出てから私が途端にしんどくなってしまったのは、

 

偉そうな人がとにかく多すぎるからだと思う。

 

私が不適合者なのだろうけど、やっぱりもっと尊重し合える人間関係がいい。

 

そうやって一つ一つ自分の嫌なことを洗い出して、

 

反転させてみると、みるみるうちに欲しいものが見えてくる。

 

そしてそれが全て叶った世界を想像すると、

 

はい、間違いなくワクワクするんです。

 

 

つまりワクワクが見つかんない時は、無理してワクワクを探しに行かずに、

 

感情が発しているシグナルを全点検してみれば良いんだと思います。

 

もちろん自分にとって好ましい人、好ましい出来事はそのまま大切にするで

 

いいと思うんですが、嫌なものにもすごく恵みがあるんだなってことです。

 

だって何も感じないという人や出来事の方が圧倒的に多いはずなので。

 

 

好ましいにしろ、好ましくないにしろ、

 

感情のセンサーが反応しているものは全部メッセージなんだなって。

 

そしたら、家族ってやっぱりすごい存在だなと思います。

 

嫌なものたくさん見せてくれる。

 

それは私が幸せになるための見本帳みたいなもんです。

 

嫌いな人にも、少しずつ感謝できる目線にシフトしてます。

 

そのことにも感謝な毎日です。 

生まれてくることも、死ぬことも、自分自身で選べないのに、なぜその間は選べると思うのか?

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自死は自分で選べるのでは?

 

とかいう天の邪鬼的な意見は無視するとして、

 

生まれてくることを自分で決めたよって人はいないと思う。

 

スピリチュアルでは意識が決めてきたっていうけど、

 

まぁそれもね、感覚的に否定はしないけど、まぁここでは一般的な

 

顕在意識(思考)の話で進めます。

 

そして死ぬ時も自分の意志で「はい、ここまで」って終われない。

 

つまり、生死は自分でコントロールできない。

 

息を止めればとかそういう横槍が出てきたけど、

 

要は行動をせずに思考だけでできますか?って話。

 

とてもじゃないけど、脳で生死はコントロールできない。

 

じゃあなぜその間の人生は自分で選べると思うんだろう?

 

自由意志っていうけど、最近それすら疑っています。

 

自分で選べなきゃ、シナリオ生きてるみたいで意味ないじゃん。

 

って思いますか?

 

実際、そうなのかもしれないと思っています。

 

で、シナリオ生きてるみたいで意味ないじゃんと思いながら、

 

人生送るのはさすがに味気ないなって意識が思って、記憶を消した。

 

そう考えたら、どうです?

 

だって物心つくまでの間、どうやって生きてたんです?

 

自我が芽生えるまで、思考してなかったんでしょうか?

 

いや、思考はしてるんですよね?

 

つまり、後から芽生えた思考(自我)が我が物顔で握っている(つもりの)

 

その人生のハンドルは、その前は誰が握ってたんでしょう?

 

そう、思考も感情もあなたが選んでいる訳ではないように、

 

この人生のあらゆる判断も実はあなたの判断とは別に動いているのかも。

 

そして、その判断を元にあなたがそう決めたと感じているだけなのかも。

 

だったら、ハンドルをお返しして、やるべきことだけやって、

 

あとは助手席で変わりゆく景色を眺めている方がいいのかもしれません。

 

 

やるべきことってなんだよって思うかもしれませんが、

 

私は焦点合わせ(何を見るか)と解釈(どう思うか)だけかなと思います。

 

行き先が選べないと言っても、360度首は動くわけで、

 

何をその視界に入れるかは選べるんじゃないでしょうか。

 

そしてその景色をどう感じるかも選べると思います。

 

 

行動が必要だってよく言うけれど、

 

そもそも焦点合わせと解釈によって、その行動は範囲を限定される訳なので、

 

この2つに徹していれば、必然的にその範囲に見合ったものが、

 

視界に入ってきて、もし心が動けば、体も勝手に動くでしょう。

 

赤ちゃんだって心地よい方向に勝手に体を向けるそうです。

 

 

この焦点合わせと解釈を無視して、ゴリゴリ左脳的に行動したら、

 

多分何度も振り出しに戻るように、宇宙からコントロールされるんじゃないかな。

 

 

だって宇宙はずっと自然の法則から外れることなく回ってるわけですし、

 

気が遠くなるような年数、ずっとそれは守られてきたわけなので。

 

 

助手席で何しますか?

とりあえず楽しみますよね。

 

ハンドル握って、神経使う必要なくなったのに、まさか頑張りませんよね?

 

私は今、とにかく人生を信頼しまくる方向に思考をアホウにしています。

 

大丈夫、笑っていれば、多分なんとかなるよ、多分。(保証はしません)