内側から湧いてくる願いと、外側に刺激された欲は、似て非なるもの
内側からの深いところから湧いてくる「願い」と、
外側の情報に刺激された「欲」は、
同じ「〜したい」という外見をしている。
でも、それぞれの力強さは全く違う。
それはわかりやすく言えば、
買い物に出かける前に「食べたいもの」が決まっていて、
その食べたいものに必要なもののメモを持っている場合と、
店に着いてから、安売りや目に止まったものからメニューを考え、
そこから必要なものを探し始める場合のような違いだ。
前者には時間にも動作にも無駄がない。
一方、後者は迷いやブレが生じる。
もちろんそれを良しとしていたり、楽しんでいるなら問題はない。
でも日々その繰り返しだと滅入る。
消耗していくのは目に見えている。
日々、情報の波にさらされている私たちに必要なのは、
いかに内側の「願い」に集中できるか。
内と外の見分け方は、もう感覚でしかないのだが、
わかりやすくいうと「理由がないのが内」だ。
説明できない願い。
根拠のない願い。
そんな一見、無駄にしか思えないような願いこそ、内なる願い。
内なる願いに集中していこう。