WE BECOME WHAT WE THINK ABOUT

自己愛改善ラボログ

今、何を感じているか。それが鋳型のように未来を創る。

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私は幼少期からずっと孤独感や疎外感を感じて生きてきたように思う。

 

それは家庭に母・姉・妹しかいなかったせいかもしれない。

 

そして祖父もいなかったので、プラス祖母と

 

完全に幼少期は女性しか周りにいなかった。

 

特にストレスを感じたこともなかったように思っていたし、

 

家族もとりわけ女同士で結束していた訳でもなかったけれど、

 

それでも本音では寂しかったんだなぁと、

 

数十年の時を経て、自分の心に寄り添うことができた。

 

「寂しかった」という幼少期の気持ちをきちんと言葉にし、

 

そして「寂しかったんだね」という現在の自分で共感をする。

 

 

大人になった今では、そんなことで本当に寂しいと感じていたのか

 

はっきりとは思い出せない。

 

けれど、だからと言って寂しくなかったとも言い切れない訳で。

 

 

ただはっきりしているのは、これまでの私は誰と一緒にいても

 

「寂しかった」

 

どれだけ上手くコミュニケーションが取れて、

 

どれだけ場に馴染んでいたとしても、

 

いつも心のどこかで温度差を感じていたり、

 

疎外感を感じていたりしてきた。

 

 

それはきっと、「寂しい」という気持ちをきちんと受け入れずに、

 

ずっと持ち越して生きてきたからなんじゃないかと思うようになった。

 

 

つまり私の周りの人間関係が原因で「寂しい」んじゃなく、

 

私そのものが「寂しい」を持ち歩いている人なんだと。

 

 

そういう点では、他にも「人が怖い」っていう気持ちもずっと持っている。

 

これも幼少期の人間関係によって形成されたものなんだけど、

 

この気持ちをずっと持ち歩いているせいで、

 

いつも心身が緊張していて、ついつい心を閉ざしてしまう。

 

これも現在の人間関係が起因しているというより、

 

私の持ち越し続けている感情が、

 

現在の人間関係に見事に反映されているだけのことなのかもしれない。

 

 

現状からでも、覚えているなら過去(記憶)からでも、

 

まず持ち越している感情をノートに書こうと思う。

 

そして客観視できたら、大人の自分で共感しに行こう。

 

 

記憶が代謝できないと、新しいパターンはきっと創造できないから。

 

 

 

未来を予測するのをやめる。

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未来について、あれやこれやと備えて、

 

思考したり、予測しておいたりするのをやめようと思います。

 

私はとにかく保守的で、小さい頃から何から何まで、予測してきました。

 

未来を先回りして、大きな失敗をしないように、小さく小さく生きてきました。

 

 

でもふと気づいたんです。

 

失敗しないようにシュミレーションした先で、

 

保守的な私はさらにビビってブレーキを踏んでいると。

 

 

つまり予測した未来が現実になった時、

 

想定しておいたはずなのに、勇気ある挑戦をしようとはしないのです。

 

 

これはRASとスコトーマにおいても最悪なんじゃないかと思ったんです。

 

自分の頭で未来を制限しておいて、さらに行動も制限している。

 

 

それならもう未来について考えるのはやめて、

 

その瞬間瞬間で勇気ある行動をとる方が何倍もマシだと。

 

 

二重制限から脱却しようと思います。

 

練習あるのみ。

 

「私は未来について何も知らない。

 

分かったフリをして、可能性を狭めるのをやめる」

 

こんなマントラを作ってみました。

 

効果あるかな。

脳のオートフォーカスを、意図的に修正して、望むものにフォーカスできるプログラムを作る。

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私には欠乏感に焦点を当てる癖があります。

 

それは両親の影響が色濃く反映していると思っています。

 

父はとにかく仕事ばかりしているような人間で、外で浮気をして、

 

そして自分が欲しいものには家族がどんな生活をしていようが構わずに

 

お金を使ってしまうような人でした。

 

一方で母はいつもお金がないないと口にしていて、

 

お金がかかることに対して苛立ち、お金にとにかく神経質でした。

 

そんな中で持病があり、毎月病院に行かなければいけない私は、

 

母に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

歯列交互で矯正をした時も装置をはめてわずか数日で並び、

 

母に「もったいな」と言われた時のあの身も凍りそうな冷たい言葉が

 

脳裏に焼きつき、心に刺さったままでした。

 

他にも初めて眼鏡を買ってもらった時も、母は内心安いものを望んでいたのに、

 

私は物心がついていて、おしゃれで高額なものを望みました。

 

後で母の本心に気づき、ひどく落ち込んだものです。

 

 

すごく前置きが長くなりましたが、

 

私にはいつも「お金」に関する欠乏感がありました。

 

あってもなくても、「足りなくなるんじゃないか」と怯えているのです。

 

そして実際に病気をして働けなくなったり、仕事に就けなかったり、

 

過食症で衝動的にお金を使い込んだりしてしまっています。

 

何度貯めようと思っても、結局借金をしないといけない状況に陥ります。

 

 

これはおそらく幼少期から刷り込まれた「欠乏」に

 

焦点が勝手に合うように脳の働きが固定化してしまっているからでしょう。

 

 

カメラのオートフォーカスと同じように、

 

焦点の合ったものだけが浮き上がり、他はボケます。

 

もし焦点を別に当てたいのなら、手動で動かす以外に選択肢はありません。

 

しかもどのくらいでオートフォーカスのプログラムが書き換わるかは

 

個人差があるでしょう。

 

それでも私は「愛」や「自由」や「豊かさ」や「感謝」や「つながり」に

 

何度でも焦点を合わせていきたい。

 

もう私にできることなんてそれくらいしかないから。

思考の癖に注意する

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脳にはおそらく習慣性があって、

 

だいたい同じような思考の癖を毎日繰り返していると思う。

 

私の場合は、未来の悪いことを想像して、それに対して不安や心配、

 

時には怒りを感じてしまいやすいというパターンを持っている。

 

最悪の事態に備えて、いつも対策を事前に講じることができるというメリットを

 

子どもの頃に習得してしまったものが、何年も見直されずにここまで来ているようだ。

 

でもはっきり言って、いつもいつも最悪な事態を想像していたら、

 

ネガティブな感情でヘトヘトになってしまうし、

 

何より引き寄せの法則的に見ても、絶対にやってはいけない思考だと思う。

 

 

昨日はまさにそんな状況に陥ったのだが、

 

とっさに思考を停止し、できるだけ今に集中するように努めた。

 

するとやはりネガティブな感情を引き起こす思考は、潮のように引いていった。

 

 

だが、ここで問題なのは、根元からその原因を刈り取らないと、

 

何度も何度も雑草のように、同じ思考が育ってしまうということだろう。

 

私はまだそこまで着手できていないが、

 

おそらく過去にその原因となる体験があって、その体験から生じた信念を

 

癒してあげる必要があると感じている。

 

 

ただ今回、すごく冷静に、ネガティブな感情に気づき、

 

そして思考を停止させるということを意識的にできたので、

 

すごく人生に対して、能動的になれそうな可能性が見えた。

 

 

今後もどのようなことが引き金になって、思考が生まれ、

 

感情に繋がるのか丁寧に観察し続けたいと思う。

自分を愛するということは、世界を愛するということ

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このブログのテーマとして自己愛を掲げている。

 

私自身、29年間生きてきて、ほとんどの時間を自分を傷つけることに費やしてきた。

 

両親から愛されていないと思い込み、人を恐れ、

 

ゲイやアトピー、身体が弱いこと、スタイルが良くないことなど、

 

どうしても自分を愛せる要素を見つけることができずに生きてきた。

 

そしていつの間にか他人を自分の世界から締め出し、

 

自分の可能性を真っ向から否定し、自分の存在自体にも手をかけ、

 

ただただ世の中や人生に対して被害者のスタンスを貫き、怒ってきたように思う。

 

 

結果、私は様々なつまずきを経験し、打ちのめされることになった。

 

 

そうして今、私が辿り着いた人生を上向きにするための秘訣。

 

それは「自分を愛すること」の一点に集約される。

 

 

前回話したように、この世界は各個人の投影によって成り立っている。

 

だから起点である、自分自身を愛せていない場合、

 

世の中を決して愛せるようにはならないと思う。

 

 

「自分を愛せなくても、相手を愛することはできる」

 

そう反論する人がいても構わないが、私はそうは思わない。

 

なぜなら、自分を愛せないということは、愛せない何らかの理由があるからで、

 

その理由と同じ要素を持っている人をそう簡単に愛せるはずがないと思うからだ。

 

 

自分を愛すると言っても、条件付きで愛せていても、結果は同じ。

 

良いところだけ愛していたって、それは愛しているとは言わない。

 

良くない部分もあるけど、それでも自分が可愛いと思える状態が理想。

 

 

そして自分を愛するとは、愛のある言葉、愛のある思考、愛のある接し方、

 

愛のある人間関係、愛のある行動、愛のある時間を自分に与えることだ。

 

それが上手くいったら、今度は1日の中でその愛の割合を増やしていくこと。

 

 

自分を四六時中、いじめるんじゃなくて、

 

自分を四六時中、愛することができたら、

 

間違いなく人生は変わると信じている。

 

 

自分に優しい言葉をかけて、楽しいことを考え、いつも励まし勇気付け、

 

そして自分が好きな人と過ごし、自分の心身をケアし、好きなことをする。

 

 

こうして文字起こしするだけでも、なんだか気分が高揚してくる。

 

 

自分を愛すること。

 

それは人生の最期まで、いつもそばにいてくれる親友と、協力体制を築くこと。

 

自分を愛すること。

 

それは周りの世界に、いつも愛を与えられるハイパフォーマーでいること。

 

自分を愛すること。

 

それはこの世に生まれてきた本当の使命と意味を教えてくれる。

 

 

声に出して、ちゃんと伝えていこう。

 

「ありのままの君を愛しているよ」って。

 

そして「いつも愛してくれてありがとう」って。

感じる力 > 考える力、内側の状態 > 外側の条件 でぇす!!

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あなたは「自分の人生、最高!!」って心から言えますか?

 

これ抵抗なく言える人って、どのくらい日本にいるんでしょうね。

 

で、この記事で扱いたいのは、言えるかどうかというよりも、

 

このセリフの在り方について、考えてみたいと思うんです。

 

まずこのセリフ、どう考えても「感情」を込めないと、

 

まったく、そうまっったく、意味ないと思いませんか?

 

このセリフに根拠があろうがなかろうが、

 

ただ感情込めて目一杯言えるかどうかがミソやと思うんです。

 

言うてみれば、小さな子どもが「最高!!」って言ってるみたいな。

 

一方で、「お金があって〜、高学歴で〜、高収入で〜、」

 

みたいないつまでも恋人ができない人の相手に求める条件のように、

 

根拠があった上で「最高!!」って言ってる場合、

 

確かにそうかもしれないけど、インパクト弱くないですか?

 

あ〜だ、こ〜だ、理由並べ始めると何か弱い。

 

これ結局、私たち人間は、「感情」の方が「思考」よりも

 

絶対的だと知っている証拠じゃないかなと思うんです。

 

逆を言えば、どれだけ良い条件に恵まれたとしても、

 

それを「感じる力」が弱ければ、物事も小さくなっちゃうんじゃないでしょうか。

 

逆に「感じる力」が強ければ、どんな些細なことでも大きくできる。

 

 

つまり、幸せとか楽しさとか、そういうのは、

 

出来事や条件によって、定量があるわけじゃなく、

 

あくまで受け取る私たち自身の「感度」の問題なんじゃないかと、

 

最近私は思うわけです。

 

 

何食べても「うまい〜幸せ〜」とか、

 

何してても「楽しい〜最高〜!!」とか、

 

そうやって生きていける方が最高やと思うんですよ。

 

でも今の時代は「食べログの評価が悪いからやめとこ〜」とか、

 

「あぁ、あの人の生活楽しそうでいいなぁ〜」とか、

 

そうやって頭で判断しては、数値化して、感じることをおざなりにしてる。

 

そう私は思うわけです。

 

 

だからね、外側の条件がどれだけどれだけ整っても、

 

内側の状態をメンテナンスしておかないと、

 

なんにも感じないんじゃないかなーって。

 

 

そして、もし何も「最高だと思うものがない!!」って

 

頭が(あくまで、頭な。だって実際には探せば最高なものってあるはずだから)

 

言うなら、それは頭がそうプログラムされちゃったからで、

 

言葉にしてリプログラムしちゃいましょう。

 

「私の人生、最高でぇす!!」

 

きっとそのうち頭がその理由探しを始めますから。

 

そして、何よりもまず、深刻に人生を考えるのをやめて、

 

大いにふざけて生きましょう。

 

私、親が大真面目だったので、冗談まったく言えない人なんですけど、

 

(しかもコテコテの大阪人なんですけど)

 

それでもこれからの人生はスベりまくってもいいから、

 

自分で自分を笑わせてあげられるくらいの人間になりたいと思ってます。

 

今後、文体がおふざけ調になってるかもですが、それでもOKでぇす。

 

では。

現時点での思考まとめ

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メディテーションと、アファメーション

 

投影チェックと、感情チェック。

 

ホ・オポノポノと、筋トレ。

 

少しずつ現状をスライドしていく習慣を作り出しています。

 

 

ひとまずここ最近の思考をまとめておこうと思います。

 

 

・自分が見ている世界は、自分だけのヴァーチャル・リアリティ

→それは個人の身体的知覚(五感)と非身体的知覚(感情、注意の焦点)で、

世界を解釈し、その解釈を強化し続けているから。

 

・つまり決まった世界が存在するのではなく、自分の解釈次第で世界が変わる

→ただし、自分の解釈に無自覚な時期は、刷り込みによる解釈で世界を見ている。

→世代間連鎖や住む国の特徴に大きく影響を受けている。

 

・解釈を変えていくには、RASとスコトーマの作用を理解する

→現実を見て(これまでの解釈の積み重ね)、反応し続ける限り、抜け出せない。

→意図的に、想像力を駆使して、新しい解釈を積み重ねる。

メディテーションで隙間を作り、アファメーションで創造する)

→脳は現実と想像の区別がつかない。

→口癖を前向きなものにする。物事の良い面に注意を向ける。

 

・自己愛と感謝がキーマン

→良い出来事を受け取る価値が自分にあると信じることができるというのが条件。

→感謝は最高級ベータエンドルフィンの分泌を促し、脳の状態をベストに保つ。

 

 

こんなところでしょうか。

 

まず現状を好転させていくのに、思考ばかりで挑むのをやめる。

 

感情や注意の焦点をチェックしながら、

 

良いイメージを抱き続ける。

 

そして自分を愛し、人間や世界、あらゆるものを愛していく。

 

さらに感謝の心を持って、世の中を眺める。

 

 

難しい?

 

そう思うことがあなたのヴァーチャル・リアリティに難しさを生み出します。

 

変わることは簡単だ。

 

それに楽しい。

 

まずは言葉から。