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BECOME/CONNECTER

偉そな言葉並べても、私の中身は空洞です。

起こっていることは全部、潜在意識が創ってる

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ここのところ、また持病が悪化していて。

何度目だって思うけど、アファメーションの度にきっと諦めが入ってたんだと思う。

「私は健康だ」

なんて何度も口にしておきながら、

内面では「どうせ、、、」って気持ちがあったんじゃないか。

 

結局、顕在意識とか言葉とか以上に、現実が全てで。

もし思い通りになっていないなら、

本当のところで自分がどう感じているのか内観する必要があるな。

 

口では勢いの良いこと言っても、

気持ちが真反対のこと考えてるんじゃ、

感情の方が強いよ、きっと。

 

寝る前の手書き、やろう。

本当に感じたいものは何なのか

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ふと、風呂上がりに思う。

私が本当にこの人生で感じたいことは何なのか。

ずっと体の中にある違和感にフォーカスしていて、

確かに意識することで良くなっているのかもしれないけれど、

正直なところは全くわからない。

 

それじゃあこの時間、この感じている時間は何なのか。

本当に感じていたいものなのか。

いや、違う。

外側でどんなことが起こっても、内側は平和でいたいと願いながら、

焦点はいつも不健康に当たっているんじゃないか。

 

だったらもうこの体の内部に対する感覚に焦点を当てるのはやめる。

 

静寂を感じていたい。

私は静寂な平和を感じていたい。

自分への愛を感じていたい。

人とのつながりや与えられているものへの感謝を感じていたい。

 

どの感覚にフォーカスするか。

しっかり選んで進んでいきたい。

全て自分の思い込みだった

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私の人生は不幸だ。

私は恵まれない家庭に育った。

私は愛されてこなかった。

私はダメな人間だ。

私は嫌われやすい。

私は不健康だ。

私は何をやってもうまくいかない。

などなど。。。

 

もしそんな思い込みを持っていたとしたら、

間違いなくその思い込みによって、

その思い込みを裏付ける事象を拾い続ける人生になる。

 

その思い込みになんの根拠もないし、

逆に真逆の思い込みであっても、

それは同じことなのだ。

 

とにかくもう全て、そう全て自分の思い込みが招いた過去。

だったら、もう思い込みを嘆くのではなく、

さっさと都合の良い思い込みにして仕舞えばいい。

 

勝手な思い込みで苦しんでごめんなさい。

許してください。

 

心の声に 素直になれる日は いつか君に来るの?

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自分が今、何をしたいと思っているのか。

自分の気持ちや欲求を正確に掴めているだろうか?

 

目の前の相手が今、何をしてほしいと思っているのか。

相手の気持ちや欲求をしっかり聞くことはできているだろうか?

 

ニーズに無関心だったり、推測じゃなくて、

「どうしてほしい?」

って確認して、自分や相手の欲求をしっかり満たそう。

 

「どうしてほしい?」

が気恥ずかしくて、つい観察と推測で言動してしまいがちだけど、

ちゃんと自分や相手が「今してほしい」ことを「今する」ために、

自分も素直に伝えて、満たしあっていく。

孤独の正体

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どんなにうまくいっていても、ふと孤独になる時がある。

家族がいて、友人がいて、職場の仲間もいて、

完全だとは思わないまでも、不完全だと思うほどでもない生活もあって、

きっと気づいていないたくさんの幸福に囲まれて、

それでも孤独に身を持って行かれそうになることがある。

 

その正体が、幼少期の自分が感じていた孤独感なんじゃないかって思うようになった。

 

私は父に可愛がられていなかった。(と思い込んできた。)

今、大人になって父の家族関係を振り返ると、

父もまた父親との関係に苦しんできた人だった。

そして、そんな父が家庭からいなくなって、

私の家族は、母・姉・妹になった。

母もまたシングルマザーの子供で、妹との3人家族で育った。

私が成人してから「家の中に男の人がいる感覚がわからなかった」と、

母は秘密を打ち明けてくれたけれど、その感覚は私にしっかり伝わっていたし、

姉と妹が常に結託していたせいで、私はいつも孤独だった。

 

それに加え、性的少数者として生きる、苦しさや孤独も、

幼少期の繊細な私を追い込んだ。

 

どこにも居場所がなくて、何度も夜の街を彷徨った。

早く大人になるか、早く死んでしまいたかった。

 

どこに居ても、誰と居ても、孤独を覚えてしまう癖は、

大人になって、どこへでも行けるようになっても変わらなかった。

 

完璧を目指して、愛想で笑う。

他人の顔色や仕草から、次の行動を読んで、自己防衛で笑う。

 

ああ、不意に訪れる孤独はきっと、そんな生き方に疲れた時に顔を見せるんだな。

独りでいる時の方がよっぽど独りを感じないし、

笑えることはないけれど、疲れることもないんだ。

 

でもこのまま昔の感情に振り回されて生きるのはあまりにも面白くない。

 

今度寂しくなったら、思いっきり昔の自分に共感して、

「寂しかった」って口にするんだ。

 

ずっと淋しさや苦しさを我慢してきた幼少期の自分に、

何度でも寄り添うんだ。

もっと自分を誇らしく思っていい

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自分の身体、自分の心、自分の性質、自分の能力、などなど。

自分の持てるもの、すべてを、もっと誇らしく思ってもいいのではないのだろうか。

 

あなたを生かしているその力。

あなたという人間を構成するその資質。

 

不平不満よりももっと前に、

その存在を誇らしく思ってみたいものである。

 

 

何も目指さない生き方

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何かを目指した途端、現在の自分との比較が始まってしまう。

それなら、もう何も目指さないという生き方はどうなんだろうか。

私は昔から理想主義で、いつも今の自分を変えたいと願いながら生きてきた。

私の人生はいつも目線を上げていないと描けないものだった。

成長志向が高く、勤勉な自分を誇らしく思う一方で、

いつも息切れのような苦しさがつきまとった。

 

そもそもどうして自分を変えなければいけないと思ってしまうのか。

それはきっと他者評価を気にしすぎているからだ。

その中でも特に経済力や社会的なステータスに価値を置き、

その理想にいつまでも手の届かない自分を叱責してきた。

 

だけど、その理想って本当に目指さないといけないのだろうか。

現状が淡々と続く人生ってダメなのだろうか。

人から賞賛されるような人生じゃなくても、

自分がそこそこ満足してヘラヘラして生きていける人生じゃダメなのだろうか。

 

もう何かを必死に目指して、自分の首を絞めるような生き方は手放そう。

とりあえず自己満足度の優先順位を上げて、ゆるゆると生きよう。