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自己愛改善ラボログ

あるのは反応のみ(ヴィパッサナー瞑想によって得た気付きの発展系)

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ヴィパッサナー瞑想の合宿から帰ってきてから約半月が経ちました。

 

結果的に再体験してよかったです。

 

もう人生に必要なものはこれしかないとはっきり確信しました。

 

そして何よりブッダも「波動」のことを説いていました。

 

これには本当鳥肌が立ったというか、

 

引き寄せを始めとした目に見えない(スピ)系の結論は、

 

やっぱり「波動」でしかない訳です。

 

そしてもうこれ体験してみないと分からないです。

 

なぜならこれは感覚の話だから。

 

そして感覚は人それぞれの感覚器官によるものだからです。

 

 

では、今日は何について書くかというと、

 

「反応」についてです。

 

これはヴィパッサナー瞑想にも通じるところですが、

 

結局全ては、自分の反応による産物であると腑に落ちました。

 

 

私は「傷つきたくない」という強烈な願いが潜在意識にあって、

 

その「傷つきたくない」を叶え続けていました。

 

「傷つかない」ための方法として、

 

「人と会わない」「失敗しないように何もしない」という状況をつくりだしました。

 

その目的のために、身体の病になり、家から出られなくなり、

 

無職になり、当然無収入になり、無貯金になり、精神を病み、

 

と散々な人生を生み出していたんです。

 

でも、結局私の外側ではなく、内側に私を傷付ける「反応」がある訳です。

 

なので、傷付かないように何もしなくても、自分を傷付けるのです。

 

矛盾ですが、病気が癒えてくると何もしていない自分に絶望し始めます。

 

そして自分を無意識に責め、傷付け、精神異常になっていました。

 

 

そこで今日私がとった方法は、「次元を上げること」

 

私の視点ではなく、メンターの視点を借りてみようとふと思いました。

 

すると「ウケる〜、自作自演乙」

 

というなんともドSな発言が。。。

 

そう、私は自分で自分を傷つけてきたし、

 

そのために様々な問題をこしらえてきたのです。

 

まぁ見事にNo. 1の願い(気づいていない)を引き寄せていたのです。

 

 

つまり、外側には何もない(なかった)ことに気づきました。

 

ただ私が「反応している」に過ぎなかったんです。

 

だからもう「外側に傷付かない」と決意しました。

 

それだけで一気に変化するとは思っていません。

 

自然と同じように変化はゆっくり少しずつ確実に起こしていくに限ります。

 

3年くらいかけて少しずつ。

 

傷付いた、傷付けられたと感じたら、

 

しっかり内面と向き合っていきます。

 

自分の反応に対する観察日記を付けてみようと思います。

 

これは食べ物の好き嫌いを知るのと同じようなものだと思います。

 

私たちはたくさんの物を食べてきて、

 

いつの間にか知ったようになっているけれど、

 

初めての物を食べるときは新しい反応に出会います。

 

そしてその味が嫌いだった時にショックを受けるのではなく、

 

「あ、私はこの味、嫌いだ。」と自覚し、

 

次から食べないようにする。

 

それだけ。

 

ちゃんと自分の反応に関して自覚的であれば、

 

きっと人生で起こるあらゆる問題に対しても、

 

もっと冷静でいられると思います。

 

反応も習慣だから、変えていくこともできるはずだし、

 

遠ざけられるなら遠ざけてしまった方がいい。

 

とにかく人生トータルで勝ちに行きましょう。

 

今がどんなに苦しくても大丈夫。

 

 

 

 

内側から湧いてくる願いと、外側に刺激された欲は、似て非なるもの

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内側からの深いところから湧いてくる「願い」と、

 

外側の情報に刺激された「欲」は、

 

同じ「〜したい」という外見をしている。

 

でも、それぞれの力強さは全く違う。

 

 

それはわかりやすく言えば、

 

買い物に出かける前に「食べたいもの」が決まっていて、

 

その食べたいものに必要なもののメモを持っている場合と、

 

店に着いてから、安売りや目に止まったものからメニューを考え、

 

そこから必要なものを探し始める場合のような違いだ。

 

前者には時間にも動作にも無駄がない。

 

一方、後者は迷いやブレが生じる。

 

もちろんそれを良しとしていたり、楽しんでいるなら問題はない。

 

でも日々その繰り返しだと滅入る。

 

消耗していくのは目に見えている。

 

 

日々、情報の波にさらされている私たちに必要なのは、

 

いかに内側の「願い」に集中できるか。

 

 

内と外の見分け方は、もう感覚でしかないのだが、

 

わかりやすくいうと「理由がないのが内」だ。

 

 

説明できない願い。

 

根拠のない願い。

 

そんな一見、無駄にしか思えないような願いこそ、内なる願い。

 

内なる願いに集中していこう。

ヴィパッサナー瞑想、リトライしてきます!!

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去年ふと「30歳の誕生日までにもう一度ヴィパッサナー瞑想をしたい」と

 

思っていました。調べるとGW前にちょうどある。

 

でも年末に体調を崩し、床に伏していたので、

 

タイミング悪くキャンセル待ちのタイミングでしか、

 

応募ができませんでした。

 

しかし、ここにきてキャンセル待ちの枠が空き、

 

そして参加できる最低限の回復の目処が立ちそうなので、

 

古い生徒としてリトライしてきます。

 

初めて受けたのが27歳の夏。

 

あの頃よりも確実に瞑想や心身の知識は増えているので、

 

また実感ベースで得るものは違ってくると思います。

 

ちょっと古い生徒は初なのでドキドキ。

 

良い出会いもあるといいな。

 

GW明けに体験記事書きます。

 

 

自分の内側に、外側が同期していく

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今年に入って、明らかに内面からの声で、

 

「もっと自分に集中して」

 

というメッセージを受け取りました。

 

 

もう外側に答えを探したり、振り回されたり、

 

そんなことはもうしなくていいのだと。

 

 

そこで最近は、目を閉じて、横になって、

 

思考と呼吸に意識を集中する時間を作るようにしています。

 

結局、これは瞑想なんだろうなと思うんですが、

 

瞑想以上にリラックスすることを重視していて、

 

何かを達成しようとか一切の気負いがないというか、

 

ただ自分に集中するという表現がピッタリなのです。

 

 

何を感じ、何を考えているのか。

 

そして一番重点を置いているのは、

 

「安心」しているかどうか。

 

簡単に「不安」になりそうになるんですが、

 

そんな時はただ思考を止めて、呼吸をゆっくり、ゆっくり確認していきます。

 

 

こうして思うのは、

 

全て自分の内側で起こっている出来事、

 

どんな感情とどんな思考を内側に宿しているか、

 

それがこの世界に同期していくだけ。

 

 

引き寄せの法則って、望むことだと思ってました。

 

何かをすることだと。

 

今の私の感覚だと、むしろ何もしない。

 

望みを明確にしたら、もはや望まない。

 

だって起こってくるから。

 

勝手に同期するから。

 

ただ、望みに対して、不安にならないというのが案外簡単じゃないから、

 

内側がバランスを取れなくなって、外側も引っ張られるだけで。

 

 

まずは「安心」して「確信」を深めていくしかない。

 

自分の内側に、外側の世界が同期していくから。

 

まぁここまで書いておいて、結局この感覚は私にしか理解できない、

 

ということも実感としてあって、

 

もちろん影響を与えることはできるけど、

 

これも内側の理解度は人によって異なるので、

 

同じ文章を読んでも、同じ結果が引き出されるわけじゃない。

 

 

でも真似ることで、

 

その世界観に限りなく同期させることはできる。

 

きっと。

 

 

必要なのは「愛」と「感謝」だけ

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時々、この声は自分のものではないと感じることがあります。

 

今、病に伏しているのですが、

 

自分の内側に対してひたすら謝罪をしていました。

 

「こんなに辛い思いをさせてごめんなさい」

 

「今までの自分の生き方を許してください」と。

 

すると内側から、

 

「謝らなくていい」

 

「悪いことなんてない」という

 

慈悲のような声が聞こえてきました。

 

ホ・オポノポノなどにも「ごめんなさい」「許してください」

 

があるので何も考えず、申し訳ないと謝っていたのですが、

 

罪悪感自体が人間の創り出したものであるということと、

 

自分が謝る(=悪者になる)ということは、

 

結局同じことを他人がした場合も、他人を悪者にし、

 

謝罪を求めることになるからだと言うのです。

 

 

この宇宙に本当の意味で「悪いこと」はない。

 

それがふと自分の中に立ち上がってきて、

 

そして「愛」と「感謝」だけでいいんだよという、

 

祈りに近い声が届きました。

 

「愛してる」「大好き」と「ありがとう」

 

これだけでいいのだと。

 

 

だから体に対しても、「ごめんね」ではなく、

 

「ありがとう」「感謝しています」「大好き」「愛しています」

 

だけでいいのだ。

 

 

これからはもっと、「愛」と「感謝」を感じて生きようと思います。

 

この世界には探そうと思えば、無限に「愛」と「感謝」があります。

 

それなのにずっと長い間、それとは反対のエネルギーにフォーカスしていました。

 

 

すごくシンプルに、自分の中から湧き上がってきた想い。

 

人生の指針として、大事にしていきたいと思います。

 

人生を諦めること。人生に対してオープンでいること。

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こうなりたい。

 

そう願うことはダメではないと思う。

 

でもこうなりたいがプレッシャーになるくらいなら、

 

もう人生に降参した方がいい。

 

私は今そんな心境になりました。

 

 

こんな人になりたいと理想の自分を掲げ、

 

こんな人生にしたいと理想の人生を設定し、

 

そのギャップに打ちひしがれ、

 

その険しさと非現実性に疲弊し、

 

結局うまくいっていない。

 

いや私の自我が勝手に設定したプラン通りではないと言った方が正しいか。

 

 

今体験していることは「体験する必要があるから」起こっている。

 

過去体験したことはすべて「体験する必要があったから」起こった。

 

今の自分は「必要があるから」この状態で存在している。

 

 

もう降参した方がいい。

 

それよりも「今はこれが体験するべき体験なんだな」と、

 

人生に全幅の信頼を寄せて、身を委ねるに限る。

 

 

「抵抗」を思考の中で生み出せば生み出すほどに、

 

人生にも抵抗のエネルギーが充満する。

 

ブレーキを自ら踏んでおきながら、

 

「どうしてこんなに進まないんだ!!他の車はあんなにスイスイ進んでいるのに!」

 

そりゃないわな。

 

 

人生で起こる出来事は、自力他力に関わらず、

 

「起こっている」という時点で、必要なのだ。

 

 

起こる必要のないことは起こらない。

 

それが自分の実感として腑に落ちてきた。

 

good job

本当の自分を生きないことは、宇宙にとって実害

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満月だからでしょうか。

 

今日は横になっていると、どんどん今まで自分の考えにはなかった発想が出てきます。

 

その中に「全体性」というキーワードがあり、

 

ここのところ書きたいという衝動がなかったブログに手をかけています。

 

 

目に見えるものも、目に見えないものも、

 

究極的には宇宙の全体性のために動いている。

 

なんとなくそんな感覚をはっきりと感じます。

 

 

となると、私たち一人一人も、

 

宇宙の一構成要素として宇宙の役に立つ存在であるはずです。

 

そのために生まれてきている。

 

 

だとしたら、本当の自分を生きないことは、

 

舞台での配役を無視してストーリーを混乱させていることになる。

 

 

やりたくないことを嫌々やり続けることも、

 

ましてややりたいことを我慢することも、

 

オーケストラの中にいて、別の音を奏でているようなものになる。

 

 

うまくいかないのは、

 

宇宙の全体性から外れた生き方をしているからかもしれない。

 

 

私のためではなく、

 

私たちのために何ができるだろう?

 

そんな風に生きていこうと決めた今日でした。