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自己愛改善ラボログ

筋肉反射テストが意味するものとは

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筋肉反射テストに関する記述を最近また読むことがあって、

 

簡単にその内容を言えば、

 

私たちに良いものを身につけると筋肉はゆるみ、

 

反対に悪いものを身につけると筋肉は萎縮するというものなんだけど、

 

結局、すべてこの法則に従っているんじゃないかと思い始めた。

 

 

日常生活のすべてがそう。

 

例えば思考・言葉・行動・記憶・習慣・感情・表情・姿勢など、

 

良いとされるものを維持している時には、筋肉はゆるみ、

 

逆に悪いとされるものを維持している時には、筋肉は萎縮する。

 

 

例えば引き寄せの世界では「いい気分」を重要視するけど、

 

それってすごく意識するのが難しい。

 

それよりも筋肉がゆるんでいる状態=リラックスしているか否かで

 

判断してみるとどうだろうか。

 

 

どんな目標を立てるにせよ、

 

それがリラックスした状態をキープできるものなのかどうか。

 

 

そして普段の自分の習慣は、

 

リラックスを促すものなのか、

 

それとも緊張を強いるものなのか、

 

そこを判断基準に棚卸ししていく必要がありそうだ。

 

 

アトピーは他人軸で生きているから起こる?

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年末に急激に症状が悪化し、人生4度目の大ブレーキ。

 

契約期間まで踏ん張れず、急遽実家で療養することに。。。

 

アファメーションなどでようやく回復(短期間で回復したのは初めて)

 

という経緯を経て、私が行き着いた一つの答えは、

 

アトピーは「他人軸」で生きていたから起こっていたのではないか、ということ。

 

 

他人軸とは簡単に言うと、

 

「他人からどう思われるか」を最優先しているということ。

 

思考パターンで言うと、

 

「〜すべき」「〜でなければならない」

 

など決めつけの下、柔軟性に欠けた考え方をしているということ。

 

 

他人からどう思われるかを気にして生きるというのは、

 

実際相当な心労を伴うけれど、一方で高く評価されやすい一面もある。

 

特に仕事などにおいては、よく気がつくとか模範的であるとか、

 

そりゃ他人や社会が良しとすることを第一に考えて動く訳だから、

 

評価も必然的に高くなる。

 

 

私は幼少期からそうだった。

 

他のきょうだいが何もしなくても一人だけ家の手伝いをしたり、

 

真面目に勉強をしたり、学級代表や生徒会などの役員を任されたり。

 

結局、「いい子」「いい人」「いい息子」「いい社員」「いい後輩」「いい先輩」

 

そんな役割で自分をガチガチに縛り続けてきたんだなと気付いた。

 

 

前置きが長くなったが、

 

じゃあどうすんだよって話で、

 

原因はもうどうでもいい。

 

これからは「どうするのか」に焦点を置いていくと、

 

それはもうすごく単純な話で「自分軸」に戻せばいい訳です。

 

 

物心がつく前はきっと私も「自分軸」で生きていたはずだ。

 

つまり「〜したい」で生きていくのだ。

 

いきなりは無理でも、仕事の場では無理でも、

 

一つずつ日常生活の中に「〜したい」を増やしていく。

 

 

そうすればきっと他人が「自分軸」で生きているのを見ても、

 

(つまり自分の中の「〜すべき」「〜でなければならない」から外れる人)

 

そこまで気にならなくなるのではないだろうか。

 

 

 

やっぱり言葉がスイッチ!!思考や感情で引き寄せが難しいなら・・・

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自分が最近考えていたことと、シンクロするようなメルマガの文章に出会ったので、

 

シェア。

 

成功、富、元気、愛、安心、喜びなど
ありとあらゆるものはエネルギーで出来ている。


あなたがそれを望めば、
その望んだエネルギーで望んだ世界を引き寄せてくる。


そんなこと信じられない・・・。


信じなくていい。事実だから。
なぜなら普段から既にその力を使っている。


「給料が安い」「旦那がケチ」「妻が不細工」
「子どもの出来が悪い」など嫌なことを見つけて引き寄せる。


全ては主観。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

それは、あなたの思考1つでずらせる。
今までの人生も関係なく、努力もいらない。


気づいたもの勝ち。


思考というから難しく感じるだけ。
思考とは考えであり、考えとは言葉。


つまり、頭の中で言う言葉を
チェンジするだけで考えは変わる。


チェンジできないと思うのならば、
言うべき文章を紙に用意して、


スピーキングしてリッスンすることを
ただ続けるだけでいい。


「私はできる」
「私は幸せ」
「私の気分はよい気分」などなど。


ルールなど変えなくていい。言葉を変えるだけ。
明るい気分になれば、この世はパラダイス。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

あぁ、これだ!って。

 

引き寄せの法則では、思考とその思考によって生じている感情、

 

その二つが重要とされているけれど、

 

そんな簡単じゃないよなって感じていた。

(この発想もシフトしていく必要があるんだろうけど)

 

現実がどうであれ、まず言葉を変える。

 

このあたりはルイーズ・L・ヘイや佐藤富雄先生にも通ずるところ。

 

どうしても現実に思考も感情も引っ張られてしまうし、

 

そもそも習慣の生き物である以上、

 

これまでのパターンが繰り返されるのは致し方ない。

 

だから作用点に達するまでにはタイムラグがあるんだと思う。

(つまり習慣が書き換わるまでに時間がかかる)

 

とにかく習慣(作用点)が変化するまで、

 

諦めずに気長に期待せずに少しずつ言葉を変えていく。

 

スピーキングしてリッスンて結局アファだし。

 

そもそも現実を生み出している言葉たちは、

 

良いものも好ましくないものも年齢分の習慣の強さがあって、

 

それを数日頑張るくらいでどうにかしようと言うのが無理な話だ。

 

時間をかけて、根気よく、インセプションしよう。

 

各方面で少しずつ自分の信じているものが立証されつつある。

 

信じよう、この道を。

脳の中にある辞書にはどんな言葉が並んでいますか?

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私の辞書に不可能という文字はない。

 

この言葉が誤訳であったかとうかはさておき、

 

私たちの脳内で繰り広げられる自動思考は、

 

まさに辞書さながらの働きをしていると考えて間違いない。

 

 

辞書の中にある言葉が、

 

私たちの思考となり、

 

その思考によってイメージや感情が立ち上がり、

 

それに伴った行動へと変換される。

 

 

例えば、身長160cmの男性AとBがいたとしよう。

 

Aは小さい頃から「160cmは男として低い」と教えられて、育ってきた。

 

一方、Bは160cmに対して特別な意味を与えることはなかった。

 

同じ単語(現実)でも二人にとっては全く意味が違う。

 

「背の低い男性は恋愛対象外」

 

そんな女性に出会ったら、Aは何のチャレンジもせずに諦めていく。

 

一方Bは自分が背が低いとは感じていないので、チャレンジできる。

 

結果がどうとかではなく、自分の中にある「解釈」が

 

必要のないネガティブなもので占有されていると、

 

すべての出来事にネガティブな解釈を付けて、世界を狭めてしまう。

 

 

辞書を書き換えるには、やはりアファメーション

 

言葉にしてみたり、文字にしてみたり、イメージにしてみたり。

 

何度も何度も更新していくしかないのだ。

 

それが書き換わる日まで。

 

 

今、何を感じているか。それが鋳型のように未来を創る。

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私は幼少期からずっと孤独感や疎外感を感じて生きてきたように思う。

 

それは家庭に母・姉・妹しかいなかったせいかもしれない。

 

そして祖父もいなかったので、プラス祖母と

 

完全に幼少期は女性しか周りにいなかった。

 

特にストレスを感じたこともなかったように思っていたし、

 

家族もとりわけ女同士で結束していた訳でもなかったけれど、

 

それでも本音では寂しかったんだなぁと、

 

数十年の時を経て、自分の心に寄り添うことができた。

 

「寂しかった」という幼少期の気持ちをきちんと言葉にし、

 

そして「寂しかったんだね」という現在の自分で共感をする。

 

 

大人になった今では、そんなことで本当に寂しいと感じていたのか

 

はっきりとは思い出せない。

 

けれど、だからと言って寂しくなかったとも言い切れない訳で。

 

 

ただはっきりしているのは、これまでの私は誰と一緒にいても

 

「寂しかった」

 

どれだけ上手くコミュニケーションが取れて、

 

どれだけ場に馴染んでいたとしても、

 

いつも心のどこかで温度差を感じていたり、

 

疎外感を感じていたりしてきた。

 

 

それはきっと、「寂しい」という気持ちをきちんと受け入れずに、

 

ずっと持ち越して生きてきたからなんじゃないかと思うようになった。

 

 

つまり私の周りの人間関係が原因で「寂しい」んじゃなく、

 

私そのものが「寂しい」を持ち歩いている人なんだと。

 

 

そういう点では、他にも「人が怖い」っていう気持ちもずっと持っている。

 

これも幼少期の人間関係によって形成されたものなんだけど、

 

この気持ちをずっと持ち歩いているせいで、

 

いつも心身が緊張していて、ついつい心を閉ざしてしまう。

 

これも現在の人間関係が起因しているというより、

 

私の持ち越し続けている感情が、

 

現在の人間関係に見事に反映されているだけのことなのかもしれない。

 

 

現状からでも、覚えているなら過去(記憶)からでも、

 

まず持ち越している感情をノートに書こうと思う。

 

そして客観視できたら、大人の自分で共感しに行こう。

 

 

記憶が代謝できないと、新しいパターンはきっと創造できないから。

 

 

 

未来を予測するのをやめる。

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未来について、あれやこれやと備えて、

 

思考したり、予測しておいたりするのをやめようと思います。

 

私はとにかく保守的で、小さい頃から何から何まで、予測してきました。

 

未来を先回りして、大きな失敗をしないように、小さく小さく生きてきました。

 

 

でもふと気づいたんです。

 

失敗しないようにシュミレーションした先で、

 

保守的な私はさらにビビってブレーキを踏んでいると。

 

 

つまり予測した未来が現実になった時、

 

想定しておいたはずなのに、勇気ある挑戦をしようとはしないのです。

 

 

これはRASとスコトーマにおいても最悪なんじゃないかと思ったんです。

 

自分の頭で未来を制限しておいて、さらに行動も制限している。

 

 

それならもう未来について考えるのはやめて、

 

その瞬間瞬間で勇気ある行動をとる方が何倍もマシだと。

 

 

二重制限から脱却しようと思います。

 

練習あるのみ。

 

「私は未来について何も知らない。

 

分かったフリをして、可能性を狭めるのをやめる」

 

こんなマントラを作ってみました。

 

効果あるかな。

脳のオートフォーカスを、意図的に修正して、望むものにフォーカスできるプログラムを作る。

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私には欠乏感に焦点を当てる癖があります。

 

それは両親の影響が色濃く反映していると思っています。

 

父はとにかく仕事ばかりしているような人間で、外で浮気をして、

 

そして自分が欲しいものには家族がどんな生活をしていようが構わずに

 

お金を使ってしまうような人でした。

 

一方で母はいつもお金がないないと口にしていて、

 

お金がかかることに対して苛立ち、お金にとにかく神経質でした。

 

そんな中で持病があり、毎月病院に行かなければいけない私は、

 

母に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

歯列交互で矯正をした時も装置をはめてわずか数日で並び、

 

母に「もったいな」と言われた時のあの身も凍りそうな冷たい言葉が

 

脳裏に焼きつき、心に刺さったままでした。

 

他にも初めて眼鏡を買ってもらった時も、母は内心安いものを望んでいたのに、

 

私は物心がついていて、おしゃれで高額なものを望みました。

 

後で母の本心に気づき、ひどく落ち込んだものです。

 

 

すごく前置きが長くなりましたが、

 

私にはいつも「お金」に関する欠乏感がありました。

 

あってもなくても、「足りなくなるんじゃないか」と怯えているのです。

 

そして実際に病気をして働けなくなったり、仕事に就けなかったり、

 

過食症で衝動的にお金を使い込んだりしてしまっています。

 

何度貯めようと思っても、結局借金をしないといけない状況に陥ります。

 

 

これはおそらく幼少期から刷り込まれた「欠乏」に

 

焦点が勝手に合うように脳の働きが固定化してしまっているからでしょう。

 

 

カメラのオートフォーカスと同じように、

 

焦点の合ったものだけが浮き上がり、他はボケます。

 

もし焦点を別に当てたいのなら、手動で動かす以外に選択肢はありません。

 

しかもどのくらいでオートフォーカスのプログラムが書き換わるかは

 

個人差があるでしょう。

 

それでも私は「愛」や「自由」や「豊かさ」や「感謝」や「つながり」に

 

何度でも焦点を合わせていきたい。

 

もう私にできることなんてそれくらいしかないから。