WE BECOME WHAT WE THINK ABOUT

自己愛改善ラボログ

エネルギー保存の法則 × 類は友を呼ぶ

f:id:noisolated:20180122005217j:plain

 

最近、夢の日記をつけています。

 

私は小さい頃からよく怒ったり、不安になったり、責めたりしている夢を見ます。

 

特に怒りの夢は目覚めた時、すごく身体的に疲れていたりするので、

 

寝起きから時間が経ってもしっかり覚えていたりします。

 

そしてこの夢の傾向は、自分が抑圧してきた感情が暴れているんじゃないかと

 

思うようになりました。

 

抑圧した感情はよく筋肉に宿るといいますが、

 

エネルギー保存の法則で考えると、

 

その場で感じることを許されなかった感情は自分の体内に残り続ける。

 

まさに「ストレス発散」という言葉が示すように、

 

時間差でも都度吐き出すことができていればいいですが、

 

そもそもその感情に対して、OKが出せていないと発散もできません。

 

例えば子ども時代、親に感情的に叱られた場面で、

 

仮に悔しくて怒りを覚えても、「自分が間違っている・親が正しい」と信じ、

 

怒りを感じないように我慢してしまったら、

 

その怒りは消えないまま、今も自分の体内に残っているのかもしれない。

 

日常的に忘れていたとしても、それは顕在意識での話で、

 

潜在意識上では、ずっと覚えているのかもしれない。

 

それが私の場合、夢という形で現れているのかもしれない。

 

また夢だけでなく、周囲の人や目の前の現実に形を変えて現れているかもしれない。

 

 

いずれにせよ、抑圧した感情は忘れていたとしても消えていない。

 

だからきちんと感情を味わって発散するしかない。

 

 

紙に書き出したり、感じていいんだよと声に出して許可を出してあげたりして。

 

 

と、ここまではエネルギー保存の法則から立てた仮説。

 

簡単にまとめると人間は、感情を蓄えたメモリーボックスなんだと思います。

 

 そしてそのメモリーボックスの中の感情に見合ったものが

 

現実に引き寄せられてくる。

 

 

これは類は友を呼ぶという言葉のままですが、

 

どうも今まで私は人間に限定してしまっていたようです。

 

でも普通に人だけじゃなく、もの・ことに関しても同じだと考えた方が自然。

 

 

てことは、今の現状をしっかり見れば、

 

自分の中にどんな感情があるのかがはっきりわかる。

 

 

私はお金について不安な気持ちがある。

 

私は健康についても恐れがある。

 

他にも他人に対する怒りがある。

 

(特に祖父や父に対してのものが強いので、上司や立場の上の人に感じる)

 

 その感情がずっと体の中にあるから、それに見合うものを引き寄せ続けている。

 

 

だからその感情から目をそらさずにしっかり見つめて、

 

その感情の断捨離を習慣化していく必要が

 

今後の引き寄せ生活には必要だなと感じています。

 

 

少なくともネガティブな感情を悪者扱いせず、

 

しっかりと過去も含めて感じていく。

 

それが出来れば、現実も変わっていく気がしています。

 

筋肉反射テストが意味するものとは

f:id:noisolated:20180121011610j:plain

 

筋肉反射テストに関する記述を最近また読むことがあって、

 

簡単にその内容を言えば、

 

私たちに良いものを身につけると筋肉はゆるみ、

 

反対に悪いものを身につけると筋肉は萎縮するというものなんだけど、

 

結局、すべてこの法則に従っているんじゃないかと思い始めた。

 

 

日常生活のすべてがそう。

 

例えば思考・言葉・行動・記憶・習慣・感情・表情・姿勢など、

 

良いとされるものを維持している時には、筋肉はゆるみ、

 

逆に悪いとされるものを維持している時には、筋肉は萎縮する。

 

 

例えば引き寄せの世界では「いい気分」を重要視するけど、

 

それってすごく意識するのが難しい。

 

それよりも筋肉がゆるんでいる状態=リラックスしているか否かで

 

判断してみるとどうだろうか。

 

 

どんな目標を立てるにせよ、

 

それがリラックスした状態をキープできるものなのかどうか。

 

 

そして普段の自分の習慣は、

 

リラックスを促すものなのか、

 

それとも緊張を強いるものなのか、

 

そこを判断基準に棚卸ししていく必要がありそうだ。

 

 

アトピーは他人軸で生きているから起こる?

f:id:noisolated:20180118190445j:plain

 

年末に急激に症状が悪化し、人生4度目の大ブレーキ。

 

契約期間まで踏ん張れず、急遽実家で療養することに。。。

 

アファメーションなどでようやく回復(短期間で回復したのは初めて)

 

という経緯を経て、私が行き着いた一つの答えは、

 

アトピーは「他人軸」で生きていたから起こっていたのではないか、ということ。

 

 

他人軸とは簡単に言うと、

 

「他人からどう思われるか」を最優先しているということ。

 

思考パターンで言うと、

 

「〜すべき」「〜でなければならない」

 

など決めつけの下、柔軟性に欠けた考え方をしているということ。

 

 

他人からどう思われるかを気にして生きるというのは、

 

実際相当な心労を伴うけれど、一方で高く評価されやすい一面もある。

 

特に仕事などにおいては、よく気がつくとか模範的であるとか、

 

そりゃ他人や社会が良しとすることを第一に考えて動く訳だから、

 

評価も必然的に高くなる。

 

 

私は幼少期からそうだった。

 

他のきょうだいが何もしなくても一人だけ家の手伝いをしたり、

 

真面目に勉強をしたり、学級代表や生徒会などの役員を任されたり。

 

結局、「いい子」「いい人」「いい息子」「いい社員」「いい後輩」「いい先輩」

 

そんな役割で自分をガチガチに縛り続けてきたんだなと気付いた。

 

 

前置きが長くなったが、

 

じゃあどうすんだよって話で、

 

原因はもうどうでもいい。

 

これからは「どうするのか」に焦点を置いていくと、

 

それはもうすごく単純な話で「自分軸」に戻せばいい訳です。

 

 

物心がつく前はきっと私も「自分軸」で生きていたはずだ。

 

つまり「〜したい」で生きていくのだ。

 

いきなりは無理でも、仕事の場では無理でも、

 

一つずつ日常生活の中に「〜したい」を増やしていく。

 

 

そうすればきっと他人が「自分軸」で生きているのを見ても、

 

(つまり自分の中の「〜すべき」「〜でなければならない」から外れる人)

 

そこまで気にならなくなるのではないだろうか。

 

 

 

やっぱり言葉がスイッチ!!思考や感情で引き寄せが難しいなら・・・

f:id:noisolated:20180110204805j:plain

 

自分が最近考えていたことと、シンクロするようなメルマガの文章に出会ったので、

 

シェア。

 

成功、富、元気、愛、安心、喜びなど
ありとあらゆるものはエネルギーで出来ている。


あなたがそれを望めば、
その望んだエネルギーで望んだ世界を引き寄せてくる。


そんなこと信じられない・・・。


信じなくていい。事実だから。
なぜなら普段から既にその力を使っている。


「給料が安い」「旦那がケチ」「妻が不細工」
「子どもの出来が悪い」など嫌なことを見つけて引き寄せる。


全ては主観。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

それは、あなたの思考1つでずらせる。
今までの人生も関係なく、努力もいらない。


気づいたもの勝ち。


思考というから難しく感じるだけ。
思考とは考えであり、考えとは言葉。


つまり、頭の中で言う言葉を
チェンジするだけで考えは変わる。


チェンジできないと思うのならば、
言うべき文章を紙に用意して、


スピーキングしてリッスンすることを
ただ続けるだけでいい。


「私はできる」
「私は幸せ」
「私の気分はよい気分」などなど。


ルールなど変えなくていい。言葉を変えるだけ。
明るい気分になれば、この世はパラダイス。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

あぁ、これだ!って。

 

引き寄せの法則では、思考とその思考によって生じている感情、

 

その二つが重要とされているけれど、

 

そんな簡単じゃないよなって感じていた。

(この発想もシフトしていく必要があるんだろうけど)

 

現実がどうであれ、まず言葉を変える。

 

このあたりはルイーズ・L・ヘイや佐藤富雄先生にも通ずるところ。

 

どうしても現実に思考も感情も引っ張られてしまうし、

 

そもそも習慣の生き物である以上、

 

これまでのパターンが繰り返されるのは致し方ない。

 

だから作用点に達するまでにはタイムラグがあるんだと思う。

(つまり習慣が書き換わるまでに時間がかかる)

 

とにかく習慣(作用点)が変化するまで、

 

諦めずに気長に期待せずに少しずつ言葉を変えていく。

 

スピーキングしてリッスンて結局アファだし。

 

そもそも現実を生み出している言葉たちは、

 

良いものも好ましくないものも年齢分の習慣の強さがあって、

 

それを数日頑張るくらいでどうにかしようと言うのが無理な話だ。

 

時間をかけて、根気よく、インセプションしよう。

 

各方面で少しずつ自分の信じているものが立証されつつある。

 

信じよう、この道を。

脳の中にある辞書にはどんな言葉が並んでいますか?

f:id:noisolated:20180106151449j:plain

 

私の辞書に不可能という文字はない。

 

この言葉が誤訳であったかとうかはさておき、

 

私たちの脳内で繰り広げられる自動思考は、

 

まさに辞書さながらの働きをしていると考えて間違いない。

 

 

辞書の中にある言葉が、

 

私たちの思考となり、

 

その思考によってイメージや感情が立ち上がり、

 

それに伴った行動へと変換される。

 

 

例えば、身長160cmの男性AとBがいたとしよう。

 

Aは小さい頃から「160cmは男として低い」と教えられて、育ってきた。

 

一方、Bは160cmに対して特別な意味を与えることはなかった。

 

同じ単語(現実)でも二人にとっては全く意味が違う。

 

「背の低い男性は恋愛対象外」

 

そんな女性に出会ったら、Aは何のチャレンジもせずに諦めていく。

 

一方Bは自分が背が低いとは感じていないので、チャレンジできる。

 

結果がどうとかではなく、自分の中にある「解釈」が

 

必要のないネガティブなもので占有されていると、

 

すべての出来事にネガティブな解釈を付けて、世界を狭めてしまう。

 

 

辞書を書き換えるには、やはりアファメーション

 

言葉にしてみたり、文字にしてみたり、イメージにしてみたり。

 

何度も何度も更新していくしかないのだ。

 

それが書き換わる日まで。

 

 

今、何を感じているか。それが鋳型のように未来を創る。

f:id:noisolated:20171116141050j:plain

 

私は幼少期からずっと孤独感や疎外感を感じて生きてきたように思う。

 

それは家庭に母・姉・妹しかいなかったせいかもしれない。

 

そして祖父もいなかったので、プラス祖母と

 

完全に幼少期は女性しか周りにいなかった。

 

特にストレスを感じたこともなかったように思っていたし、

 

家族もとりわけ女同士で結束していた訳でもなかったけれど、

 

それでも本音では寂しかったんだなぁと、

 

数十年の時を経て、自分の心に寄り添うことができた。

 

「寂しかった」という幼少期の気持ちをきちんと言葉にし、

 

そして「寂しかったんだね」という現在の自分で共感をする。

 

 

大人になった今では、そんなことで本当に寂しいと感じていたのか

 

はっきりとは思い出せない。

 

けれど、だからと言って寂しくなかったとも言い切れない訳で。

 

 

ただはっきりしているのは、これまでの私は誰と一緒にいても

 

「寂しかった」

 

どれだけ上手くコミュニケーションが取れて、

 

どれだけ場に馴染んでいたとしても、

 

いつも心のどこかで温度差を感じていたり、

 

疎外感を感じていたりしてきた。

 

 

それはきっと、「寂しい」という気持ちをきちんと受け入れずに、

 

ずっと持ち越して生きてきたからなんじゃないかと思うようになった。

 

 

つまり私の周りの人間関係が原因で「寂しい」んじゃなく、

 

私そのものが「寂しい」を持ち歩いている人なんだと。

 

 

そういう点では、他にも「人が怖い」っていう気持ちもずっと持っている。

 

これも幼少期の人間関係によって形成されたものなんだけど、

 

この気持ちをずっと持ち歩いているせいで、

 

いつも心身が緊張していて、ついつい心を閉ざしてしまう。

 

これも現在の人間関係が起因しているというより、

 

私の持ち越し続けている感情が、

 

現在の人間関係に見事に反映されているだけのことなのかもしれない。

 

 

現状からでも、覚えているなら過去(記憶)からでも、

 

まず持ち越している感情をノートに書こうと思う。

 

そして客観視できたら、大人の自分で共感しに行こう。

 

 

記憶が代謝できないと、新しいパターンはきっと創造できないから。

 

 

 

未来を予測するのをやめる。

f:id:noisolated:20171006000806j:plain

 

未来について、あれやこれやと備えて、

 

思考したり、予測しておいたりするのをやめようと思います。

 

私はとにかく保守的で、小さい頃から何から何まで、予測してきました。

 

未来を先回りして、大きな失敗をしないように、小さく小さく生きてきました。

 

 

でもふと気づいたんです。

 

失敗しないようにシュミレーションした先で、

 

保守的な私はさらにビビってブレーキを踏んでいると。

 

 

つまり予測した未来が現実になった時、

 

想定しておいたはずなのに、勇気ある挑戦をしようとはしないのです。

 

 

これはRASとスコトーマにおいても最悪なんじゃないかと思ったんです。

 

自分の頭で未来を制限しておいて、さらに行動も制限している。

 

 

それならもう未来について考えるのはやめて、

 

その瞬間瞬間で勇気ある行動をとる方が何倍もマシだと。

 

 

二重制限から脱却しようと思います。

 

練習あるのみ。

 

「私は未来について何も知らない。

 

分かったフリをして、可能性を狭めるのをやめる」

 

こんなマントラを作ってみました。

 

効果あるかな。