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自己愛改善ラボログ

ネガティブな感情を感じたら手放すチャンス!解放ゲーム開始!

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だんだん引き寄せの法則の仕組みに納得ができるようになってきました。

 

人生の創造主と言われても今ひとつ言葉だけでは分からなかったのですが、

 

振動の共振というイメージを持てば、まず確実に自分発信なんですよね。

 

自分が振動していなければ、共振も非共振も起きない。

 

でも感覚の接触あるところには必ず思考が生まれて、そして感情が生まれる。

 

感情が生まれるということはもう振動しているということで、

 

その振動数は宇宙に放射されている。

 

特に恐れや不安、心配などに取り憑かれていた私は、

 

宇宙が本来持つ拡大や成長の波動と明らかに異なる周波数を持ってしまっていて、

 

それがあまりにも長時間異なった波動のまま振動していると、

 

ズレによって病気になる訳だと思うんですが、

 

私は宇宙の大きな流れに対して、かなり強い抵抗の振動数を生んでいたようです。

 

逆に自分の思考の頑なさに才能すら感じます。

 

 

で、最近は嫌な気分になったら、チャンスだと思うようになりました。

 

タッピングはちょっとセットアップフレーズなど準備も手間なので、

 

そこまで本格的に取り組めていないのですが、

 

(感情があるうちに対応した方がよさげなので)

 

セドナのフレーズを繰り返して気分が落ち着くのを確認しています。

 

 

以前の記事でも書いたように、

 

嫌な出来事というものが存在するのではなく、

 

もともと私たちが持ち運んでいる内在した感情が引き出されているだけなので、

 

それはつまり無自覚にエネルギーをずっと握りしめたまま生活しているということ。

 

だから嫌な気分になったら、そのエネルギーを手放すチャンスなんですよね。

 

いつもいつも嫌な気分にさせる相手がもしいるなら、

 

逆にチャンスなんですよね。

 

自分の中の何か(ルールや信じ込み)が、

 

その相手の言動に過剰に反応しているだけなので。

 

相手そのものというより、自分に禁じている言動があるんだと思います。

 

相手がいなくなっても、同じような言動を取る人にまた反応してしまう。

 

一生そんな風に反応して、振り回されて生きるか、

 

エネルギーを解放して、反応しない自分になるか。

 

そう考えたら、嫌な相手は自分にとって救世主なのかもしれませんね。

 

私はそれが同居する祖母なのですが、

 

このブログを書きながら、感謝してみようと初めて思えました。笑

 

では、また。

結局、引き寄せが出来てない人なんていない。

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引き寄せが出来る人と出来ない人がいる。

 

多分、この考え方は間違いだ。

 

うまく使える人と使えない人がいる。

 

多分、この考え方も間違いだ。

 

 

誰かには出来て、誰かには出来ない。

 

そんな宇宙の法則って他にあるだろうか。

 

もちろん個人差はあるにせよ、重力の影響を受けない人間はいないし、

 

死なない人間もいない。

 

 

ということは逆説的に、みんな引き寄せが出来ている。

 

「いや、そんなはずはない」

 

と思っているなら、

 

「私は引き寄せが出来ない」という引き寄せに成功している。

 

 

「いや、そんなはずはない」

 

と顕在意識(認識できる思考)では思っていなかったとしても、

 

引き寄せがうまくいっていないと感じているなら、

 

潜在意識はがっつり「引き寄せなんて出来ない、信じない」と

 

信じているはずなのである。

 

 

じゃあどうすればいいんだよって話なのだが、

 

まず現実をしっかり見る。

 

ただありのままに見る。

 

良いとか悪いとか、望んだ望んでないとか、

 

そんなジャッジは脇に置いて、何の感想も持たずにただ見る。

 

そしてそれが自分の思考なんだと気付く。

 

 

お金がない。

 

健康じゃない。

 

誰にもモテない。

 

仕事がうまくいかない。

 

人生もうまくいかない。

 

 

顕在・潜在どちらであろうと、

 

そう自分が信じているんだと知る。

 

現実があったから、そう思ったのではなく、

 

そう信じていたから、そういう現実になった。

 

ここもかなり重要なんだと思う。

 

もし自分に思い当たる節がないなら、

 

外からそう教え込まれたか、周りの人間にそういう考えの人が多かったか、

 

いずれにせよ、今はそう信じているのだ。

 

 

そしてここを打ち消していく。

 

まずしっかり何に対して、どんな信じ込みがあるのかを特定して、

 

(もし見つからないなら、意識に質問して、答えがくるのを待つ)

 

その反対へ向かうように感情や思考を変換させていく。

 

(方法はセドナメソッドやタッピングなど探して合うものを試す。

 

→何があなたに合うかなんて私に分かる訳がないのでこう書くしかない)

 

 

引き寄せ系の本などを繰り返し読むことで、

 

顕在意識の望みと、潜在意識の望みのズレ(つまり抵抗)が

 

徐々に薄れていくということもあるんだろうけど、

 

そんな間に疑心暗鬼になって抵抗をますます強めるという危険もあるので、

 

やっぱり「うまくいかねぇ」と感じている分野にフォーカスして、

 

信じ込みをうまく解放できる方が理想だ。

 

 

あとはやり続けるだけ。

 

間違っても「やっぱりダメじゃん」なんて早々に見切りをつけないように。

 

むしろ結果は求めない方がいいのかも。

 

 

ま、とにかく引き寄せは100%誰にも起こってんねんなってことが、

 

頭でまず理解することが大切だと思った今日この頃です。

 

 

 

 

 

本当に自分を愛するという覚悟はあるのか?

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このブログ、一応自己愛改善という名目だったし、

 

自分もそのつもりで努力しているつもりだった。

 

でも、やっぱり見たくないところはあって、

 

そういうところに関しては見ないようにというか、

 

「よくなったら〜、もっとこうなったら〜」という条件をつけて、

 

保留状態にしてきたように思う。

 

今はマイナスの状態だから、フラットな状態に戻ったら、

 

その時初めて、ちゃんと愛せると。

 

でも、プラスもマイナスも、逃げずに「愛する」という覚悟が足りなかった。

 

条件づけの愛なんて、自分が一番不要だと思ってきた愛だったのに、、、。

 

 

なので、とにかくどんな自分の外見も内面も、

 

過去の過ちも、うまくいっていない現状も、

 

一旦、全てに「YES」「OK」を出していくことにした。

 

心の中で、言葉にして。

 

それでもどうしてもできないなら、

 

そんな状態もさらに「YES」「OK」していく。

 

 

前のブログにも書いたけど、

 

「NO」を自分に、そして現状に出し続けることは、

 

脳の苦痛系をせっせと働かせて、

 

ストレスホルモンを分泌し続けることになる。

 

仕事が嫌、とか誰それが嫌なら、

 

まだそうじゃない時間があるからマシだけど、

 

自分自身、そして現状を否定し続けることは、

 

24時間365日ずっと脳の苦痛系が働きっぱなし状態。

 

そんなんじゃ心身共に疲弊して、

 

生きる気力がなくなっても仕方ない。

 

 

だから、気休めでもいいから、

 

この瞬間だけでも、「YES」「OK」を出してみる。

 

そして自分に向かって「どんなあなたでも受け入れるよ」と

 

覚悟を決めてみて。

 

今私も実践中だけど、やっぱり【決める】ことが何よりも重要だなと思う。

 

 

私は、私を愛する。

 

そう決めた。

 

 



人生の全てを自分が「したい」から「している」と解釈してみる

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私は自分がなぜ病気を繰り返すのか、

 

なぜこんなにも精神的に自分を追い込み苦しみ続けているのか、

 

なぜ他人を遠ざけて孤独に苦しんでいるのか、

 

少し違う次元で考えてみることにしました。

 

 

そしてタイトルの仮定に行き着きました。

 

それは本心で「したい」ことなんじゃないかと。

 

正直、こんなに苦しんでいるんだから、

 

そんなはずないと思っています。

 

でも、無理にでもそう仮定してみたら、

 

どうして「したい」んだろう。

 

とその先を考えてみることができます。

 

 

例えば病気になることで実は何かを手にしているのではないかと。

 

それは何かに挑戦して傷つかなくて済むというメリットかもしれないし、

 

病気に向かって努力しているひたむきさで怠惰をごまかしたいのかもしれない。

 

精神的に自分を追い込むのも、そうしているのが実は心地良いのかもしれない。

 

そうしていれば、人生に取り組んで、一生懸命努力している感じがする。

 

スマホをいじっているより、よっぽど誇らしく思えているのかもしれない。

 

孤独だって、実はさっきの傷つきたくないがあるのかもしれないし、

 

本当は自分の時間を今世は大事にしたいと思っているのかもしれない。

 

 

わからないよ?

 

でも、そういう人生なのかもしれない。

 

自分の勝手な理想プランと違うから嫌悪して、

 

嫌だ嫌だと脳内の苦痛系をせっせと毎瞬毎瞬働かせて、

 

コルチゾールなどのホルモンを分泌し続けているのかもしれない。

 

や、わかんないよ?

 

でも多分、自分で自分の人生を勝手に夢見て、

 

それと違うから苦しんでる。

 

脳内で一人勝手に苦しんでる。

 

現実はこうなのに。

 

ちょっと笑っちゃう。

 

 

小さい頃、自分の外見に何度も何度もがっかりして、

 

鏡に向かってイライラしたりしてた。

 

でも今はそんなことない。

 

それはもう外見を受け入れたから。

 

もちろん気になる部分は山のようにあるけど、

 

それに対して小さい頃のように全力でキレたりしない。

 

無駄って分かるから。

 

本当にどうにかしたいなら整形するしかないなとか、

 

手術するしかないよなって大金用意しようなって話になるから。

 

 

なのに、どうして人生という壮大なものに対して、

 

全て自分の責任次第、努力次第でどうにかなると思ってんだろう。

 

いや、しゃーない部分も多分にあるだろって。

 

 

もう少し許そうよ、自分の人生を。

 

情けない自分を、ダメな自分を。

 

そしてそこまで必死になんとかして人生を上向きにしようと

 

泣きながら苦しみながら頑張ってる自分を抱きしめてあげようよ。

 

いや、自分がまさに渦中の人間なんで、

 

本当毎日発狂してるんで偉そうなこと書けないんですけど、

 

でも嫌かもしれないけど、今世はこれなのかもよ。

 

って一瞬休みません?

 

もし自分の人生に、ずっと嫌悪してきたなら。

 

今日だけは考えるのやめて、

 

美味しいもの食べて、散歩して、歌って、

 

もしできるなら笑って、早めに寝ましょう。

 

良い人生なんて途中で判断できねぇって開き直りましょう。

 

成功するまでは認めないなんて一旦やめて、

 

はぁ〜頑張ってきたな〜って。

 

ダメダメなら尚更、よく頑張ってきたよね〜って。

 

抱きしめて、風呂入って、寝ましょう。

 

私は今日、そうしますね。

現状否定と自己否定をさっさとやめる(思考があるから、それが現実として溢れる)

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この絵を見て欲しいんですけど、

 

グラスの中にものがあるから、ふとした瞬間にこぼれるんですよね。

 

グラスの中に何も入っていなければ、そんなことは起きない訳なんです。

 

そんなの当たり前なんですけど、

 

なぜか現実に対してはそう思えなかったんですよね。

 

思考が先って言われても、納得した気で終わっていました。

 

いやいや、現状否定したり自己否定しているから、

 

現状否定や自己否定したくなる現実が起きているんですよ!!

 

別の言い方をすると、

 

何でもかんでも否定したくなる脳みそに教育し続けてきたんですよ!!

 

感謝しましょうってのは、感謝すれば感謝したくなる現実が起こる、

 

というそんなムシのいい話というよりも、

 

感謝という習慣が脳みそに根付いて、感謝したくなることに気付きやすくなる、

 

っていうことなんですよね。

 

そして感謝している状態が増えれば、不平不満や否定の時間が相対的に減る、

 

てことは全体的に人生そのものが良くなったように感じる。

 

ただそれだけ。

 

そんな難しいこと、誰も何も言ってなかったんです。

 

で、いきなりマイナス(現状否定・自己否定でズブズブの状態)から

 

プラス(何でもかんでも感謝状態)はちょっとしんどいですよね。

 

むしろ差が大きすぎてホメオスタシスが過剰に反応してしまうはずです。

 

そしたらもっと強いマイナスで元に戻そうとしてくるはず。

 

てことは失敗に終わる→挫折感モリモリになる→もうしない、

 

そんなデッドスパイラルに入ってしまいます。

 

なので、まず自己否定を外していく。

 

現状否定に気づいて、ニュートラルに戻す。

 

そこから脳を少しずつ教育していきましょう。

 

私も今取り組み中です。

 

なので、このブログの内容も少しずつ進化しているはずなんです。

 

ゆるくゆるくでも確実に上へ。

 

 

あるのは反応のみ(ヴィパッサナー瞑想によって得た気付きの発展系)

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ヴィパッサナー瞑想の合宿から帰ってきてから約半月が経ちました。

 

結果的に再体験してよかったです。

 

もう人生に必要なものはこれしかないとはっきり確信しました。

 

そして何よりブッダも「波動」のことを説いていました。

 

これには本当鳥肌が立ったというか、

 

引き寄せを始めとした目に見えない(スピ)系の結論は、

 

やっぱり「波動」でしかない訳です。

 

そしてもうこれ体験してみないと分からないです。

 

なぜならこれは感覚の話だから。

 

そして感覚は人それぞれの感覚器官によるものだからです。

 

 

では、今日は何について書くかというと、

 

「反応」についてです。

 

これはヴィパッサナー瞑想にも通じるところですが、

 

結局全ては、自分の反応による産物であると腑に落ちました。

 

 

私は「傷つきたくない」という強烈な願いが潜在意識にあって、

 

その「傷つきたくない」を叶え続けていました。

 

「傷つかない」ための方法として、

 

「人と会わない」「失敗しないように何もしない」という状況をつくりだしました。

 

その目的のために、身体の病になり、家から出られなくなり、

 

無職になり、当然無収入になり、無貯金になり、精神を病み、

 

と散々な人生を生み出していたんです。

 

でも、結局私の外側ではなく、内側に私を傷付ける「反応」がある訳です。

 

なので、傷付かないように何もしなくても、自分を傷付けるのです。

 

矛盾ですが、病気が癒えてくると何もしていない自分に絶望し始めます。

 

そして自分を無意識に責め、傷付け、精神異常になっていました。

 

 

そこで今日私がとった方法は、「次元を上げること」

 

私の視点ではなく、メンターの視点を借りてみようとふと思いました。

 

すると「ウケる〜、自作自演乙」

 

というなんともドSな発言が。。。

 

そう、私は自分で自分を傷つけてきたし、

 

そのために様々な問題をこしらえてきたのです。

 

まぁ見事にNo. 1の願い(気づいていない)を引き寄せていたのです。

 

 

つまり、外側には何もない(なかった)ことに気づきました。

 

ただ私が「反応している」に過ぎなかったんです。

 

だからもう「外側に傷付かない」と決意しました。

 

それだけで一気に変化するとは思っていません。

 

自然と同じように変化はゆっくり少しずつ確実に起こしていくに限ります。

 

3年くらいかけて少しずつ。

 

傷付いた、傷付けられたと感じたら、

 

しっかり内面と向き合っていきます。

 

自分の反応に対する観察日記を付けてみようと思います。

 

これは食べ物の好き嫌いを知るのと同じようなものだと思います。

 

私たちはたくさんの物を食べてきて、

 

いつの間にか知ったようになっているけれど、

 

初めての物を食べるときは新しい反応に出会います。

 

そしてその味が嫌いだった時にショックを受けるのではなく、

 

「あ、私はこの味、嫌いだ。」と自覚し、

 

次から食べないようにする。

 

それだけ。

 

ちゃんと自分の反応に関して自覚的であれば、

 

きっと人生で起こるあらゆる問題に対しても、

 

もっと冷静でいられると思います。

 

反応も習慣だから、変えていくこともできるはずだし、

 

遠ざけられるなら遠ざけてしまった方がいい。

 

とにかく人生トータルで勝ちに行きましょう。

 

今がどんなに苦しくても大丈夫。

 

 

 

 

内側から湧いてくる願いと、外側に刺激された欲は、似て非なるもの

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内側からの深いところから湧いてくる「願い」と、

 

外側の情報に刺激された「欲」は、

 

同じ「〜したい」という外見をしている。

 

でも、それぞれの力強さは全く違う。

 

 

それはわかりやすく言えば、

 

買い物に出かける前に「食べたいもの」が決まっていて、

 

その食べたいものに必要なもののメモを持っている場合と、

 

店に着いてから、安売りや目に止まったものからメニューを考え、

 

そこから必要なものを探し始める場合のような違いだ。

 

前者には時間にも動作にも無駄がない。

 

一方、後者は迷いやブレが生じる。

 

もちろんそれを良しとしていたり、楽しんでいるなら問題はない。

 

でも日々その繰り返しだと滅入る。

 

消耗していくのは目に見えている。

 

 

日々、情報の波にさらされている私たちに必要なのは、

 

いかに内側の「願い」に集中できるか。

 

 

内と外の見分け方は、もう感覚でしかないのだが、

 

わかりやすくいうと「理由がないのが内」だ。

 

 

説明できない願い。

 

根拠のない願い。

 

そんな一見、無駄にしか思えないような願いこそ、内なる願い。

 

内なる願いに集中していこう。