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自己愛改善ラボログ

健康になってはならない 〜自分の心を縛る禁止令に気付く〜

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昨日から、ふと閃いたアファメーションを繰り返し唱えていて思ったことは、

 

「健康になること」に対して恐れている自分がいるということでした。

 

 

恐れという感情がハッキリあるかというと微妙ですが、

 

確実に抵抗している部分が見えたんです。

 

 

以前、「健康なること」に対して、自分はどんなデメリットを感じているのか

 

自分なりに書き出してみたことはあったんですが、

 

それは大人としての現在の自分の視点で、

 

本当はもっと奥に子どもの頃の自分が獲得してしまったものがあったんです。

 

 

それが「健康になってはいけない」

 

いやいやそんなバカなって自分でも思うんですが、

 

思い返してみれば子ども心に健康じゃない時の方が愛してもらえたと

 

感じてしまったとしたら、今もただ純粋にそれを望んでいるのかもしれません。

 

 

私の家庭は父が仕事や浮気でほとんど不在だったため、

 

ほぼシングルマザー状態でした。

 

2歳ずつ離れた姉と妹がいて、女手ひとつで子ども3人の相手。

 

母もまた生きづらさを抱えたような人だったので、

 

私はほとんど母に認められたり、褒められたり、

 

関心を向けられたような温かい記憶がありません。

 

もちろん大人になった今となっては母は本当によくしてくれたと思います。

 

でも、子どもの頃の私はきっと、病気の時だけ母が私を見てくれると

 

そう信じてしまったのかもしれません。

 

 

私は自分が苦しくなり、誰かに助けてほしい時でも、

 

決して他人に甘えることがありませんでした。

 

と言うよりも「助けてほしい」と甘えること自体ができなかった。

 

その結果としての不健康。

 

苦しい状況を回避するには不健康しか方法がない。

 

今も無意識下でそう信じてしまっているのかもしれません。

 

 

でも、本心では不健康を望んでいる訳じゃない。

 

それはあくまで手段でしかない訳で。

 

だから、もう健康になることを「許す」。

 

 

自分で許さないと、健康にもなれないのかと思うけど、

 

きっと長年かけて禁止してきたものを、

 

当たり前のように受け取るには、許しが必要なんだと思います。

 

 

 

私はすでにこの問題が解決しているということを理解している

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先日、引き寄せの法則に関するセミナーに人生で初めて参加してきたんですが、

 

スピ全開な女性が多く参加されていて正直ドン引きしてしまいました。笑

 

 

ペアやチームを組んで、一緒にお昼ご飯とかも食べたんですが、

 

なんかもう「いかに自分が気付けているか」みたいな会話の被せ合いで、

 

それはもう、途中から相槌もやめてしまおうかなと思うくらいでした。

 

 

引き寄せの法則をいかに理解しているかとか、真実に気付けているかとか、

 

そういうのって本当に自分が満足していたら、

 

アピールし合う必要ないような気もするんですが、まぁいい経験でした(?)

 

 

内容も概念の説明がふわっとあって、あとはプロセスワークで、

 

参加者の悩みに対して、ロールプレイとかを交えながら、色々許して行くんですが、

 

それもお涙頂戴というか会場全体が一緒に涙流してたりしてて、

 

全然肌に合いませんでした。。。むしろちょっと宗教チックで怖かった。。。

 

 

ただその中で、「私はすでにこの問題が解決していることを理解している」

 

というアファメーションはすごく使い勝手がいいなと思い、メモしておきます。

 

 

言葉は何度も繰り返すことで、臨場感を増していくそうなんですが、

 

確かにペアを組んだ人と何度もその言葉を口にしていくワークをした時に、

 

だんだん実感がこもってくる感じがしたんですよね。

 

アファメーションって何度も本で読んでるし、何度も挑戦してきたんですが、

 

今までとは違って、錯覚に近い、なんとも言えない確からしさに届いたんです。

 

 

あとはその問題に対する恐れや抵抗を手放すことや、

 

その問題が解決した自分を受け入れ、許したりしていくことで、

 

引き寄せが少し加速していくんじゃないかなと思いました。

 

 

それにしても自分は引き寄せとか探求しながら、

 

やっぱり左脳人間というか、概念だけじゃなくて、

 

再現性のある理論とか、そういうものが必要なんだなと再確認しました。

 

 

(最近、文体ブレブレだな。。。)

人間が創り出した概念に苦しむ必要はない

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私たちが下している判断のほとんどが、人間が勝手に創り出したものだ

 

私は自己否定のプロだと自負しているのだが、

 

自己否定なんて不自然な行為をしている動物はおそらく人間くらいだ

 

まして自己否定で、可能性をダメにしている動物となればなおさらだ

 

 

良い・悪いとか、正しい・間違いとか、

 

そういったものの考え方は人間が創り出したものだよって

 

ちゃんと理解した上で、必要に応じて人生に用いないと

 

「私はダメな人間だ」とかいう私の十八番でもある内なる会話で

 

人生が危うく詰んでしまいかねない

 

 

〜すべきだ、〜すべきではない

 

〜しなければならない、〜であるべきだ

 

多分、こういう概念の類は全部、嘘だ

 

言い切ってしまうと内なる反論が出てきそうだけど

 

やっぱり概念って創りものでしかないと思う

 

 

だって人間には動物と同じように言葉のない時代があったんだから

今、私の意識は何に向いていますか?

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「私は反戦運動には参加しません。しかし平和活動には参加します。」

  

かのマザーテレサの名言です。

 

一見すると、同じ方を向いているようで、

 

前者は戦争に意識が向いていて、

 

後者は平和に意識が向いている。

 

 

意識を向けるというのは、そのものに力を与えるということ。

 

 

今の自分の健康状態は、自分が不調にばかり意識を向けて

 

良くない気分を味わい続けてきた結果なんだな。

 

それよりも今無理なく健康だと思える箇所に意識を向けたり、

 

感謝したり、感じたり。

 

もしくは健康になった時の状態や態度、気分について

 

考えたり、イメージしたり。

 

そういう意識の方向付けが必要だと気付いた。

 

 

感謝を探したり、物事の良い面にフォーカスしたりするのも同じで、

 

意識や思考のゆく先をしっかり選ぶこと。

 

 

良い気分でいること、良い気分を選択することという記事に並行して、

 

意識や思考の矛先がどこを向き、その矛先に力を与えても良いか、

 

自分なりに注意深く観察していこうと思う。

 

 

2017年、上半期が終わりました。

 

健康面でも、経済面でも、精神面でも、まだまだ課題はありますが、

 

本当によくやってくれていると思います。

 

本当にありがとう、自分。

 

 

いい気分でいること、いい気分にフォーカスしていること

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今、どんな気分ですか?

 

良い気分?そうでもない?

 

気分はどこから来るんだろう?

 

もし気分を変えられるとしたら、それはどうも自分の思考らしい

 

そして、いい気分でいることに意識を集中した方がいいらしい

 

 

体の中の不調や肌の調子などに意識をフォーカスするのは良しとして

 

その時、どんな気分になっていただろうか?

 

おそらく不足や否定からくる良くない気分だったのではないだろうか?

 

現状に不満や不足を感じている限り、

 

それが現実化されて行く

 

 

いい気分でいること、そしていい気分にフォーカスすること

 

これは意識、思考の問題である

 

つまり私の責任である

 

 

そして往々にして不足や不満は抵抗感を生む

 

抵抗とはすなわちその状態を、現状を許していないということだ

 

抵抗し続ければ、し続けた分だけ、これも現実化されて行く

 

 

全ての人を許せるだろうか?

 

これまでの自分の人生を許せるだろうか?

 

もし許せないとしたら、どうすれば許せるだろうか?

 

また許せない今の自分を許せるだろうか?

 

 

許して行く

 

あらゆることを

 

きっとそうすることで扉は開かれる

誰も、何も悪くない

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今日も不調の衝動が来て、

 

その最中は心身ともにすごく苦しいのですが、

 

何度も心の中で自分を励まします

 

 

今日は「何も悪くない、誰も悪くない、悪いものは何もない」

 

そう繰り返し呟いていました

 

自分だけじゃなく、家族に対しても、ダメなところは何もない

 

そう思うことが出来ていなかったのかもしれません

 

 

家族に対してイライラしてしまう自分がいて

 

それはその家族の言動に対して「否定」があるんですね

 

つまり自分の尺度で何かを「悪い」と決めつけている

 

 

でも「良い」も「悪い」も人間が考えたもので

 

もともと自然界に存在しているものではないことに気づいたんです

 

時間という概念が人間が利便性のために作ったものだと以前書きましたが

 

人間の脳で考えている解釈だって全て自然物ではないんですよね

 

 

何にしても自然に近づくことが必要かなって

 

それがより幸せに近づくことなのかなって

 

例えば思考よりも感情の方が自然ですよね

 

食べ物も自然に近い形かどうかってすごく大事だと思うし

 

 

そう考えたらね、究極「否定」というエネルギーが不自然な気がしてきて

 

特に自己否定がめちゃくちゃ自然に反しちゃってるなって

 

そもそも存在しない「悪い」という解釈を自分の中で作り出して

 

宇宙とか自然との分離がものすごく起こっている

 

孤独が病気を生むっていうのも納得できるというか

 

人を締め出して、どんどん分離しちゃってるんですよね

 

 

自然は繁栄の方向に向かっていくし、

 

回復の方向に向かっていくのに

 

この否定のエネルギーで分離しちゃうと

 

その可能性を全部無駄にしちゃってる気がする

 

 

分離とか恐れとか否定とか

 

そういうエネルギーを自分の中から解放していくことが

 

幸福への近道なのかなって

 

持病の発作から回復したての勢いでまとめました

愛されて当然という感覚を取り戻す

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頑張らないと愛されない・好かれない

 

そんな思い込みがきっと今日までの自分を走らせてきた

 

 

嫌われている方が楽だという感覚も、

 

この頑張らないと愛されない・好かれないという誤解から生じていたんだと思う

 

 

常に頑張っていないといけない状態

 

そりゃどこかで頑張れなくなる訳だけど、

 

そうなると今度は自罰的になって又頑張らせる

 

だから嫌われて初めて解放されるんだと思う

 

 

でも赤ちゃんのように

 

本来何もしていなくても、逆に迷惑をかけてしまっていても

 

私たちは愛されていい存在なのだと思う

 

まして自分自身で罰したり、責めたり、裁いたりする必要もなく

 

愛されて当然だという感覚で生きていていいんだと思う

 

 

29年間本当の意味で心が休まる日はなかったんだな