問題なのは実際にあるかどうかではなく、見るか見ないかだ。
「もし不幸を見なければ、不幸はどうなるだろうか?」
今読んでいる本の中に一縷の望みを見た。
実際に不幸であるかどうかはどちらでもいいのだ。
それよりも今それを見るか見ないか。
もし見ないとするならば、視界に存在しないのだから、
実在しても実在しないのと何ら違いはない。
私はこれまで悲惨な過去のせいで、人生がうまくいかないのだと思ってきた。
それは言い換えれば、いつも今を犠牲にして、過去を見続けてきたということ。
過去が存在するのは、今それを見るからで、見なければ「ない」と同じ。
これは未来にも言えることで、それを見るか見ないかは、
「今」、「自分が」、選んでいる。
過去と向き合い、傷を癒すことも必要かもしれない。
未来を見据えて、傷付かないようにすることも賢明かもしれない。
でもそれ以上に、自分が「見る」から「存在する」ということに自覚的でいること。
見たくないもの、手放したいものは、視界から今すぐ外すべきだ。
今ここにない、過去の怒りや恨みも、未来への不安や恐怖も。
過去の出来事をベースに創り上げた誰かや自分への思い込みも。
見るべきは、「今」「ここにあり」「拡大したいもの」。
そうじゃないものは無自覚に見続けないようにしたいものだ。