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自己愛改善ラボログ

引き寄せがうまくいかない理由はもしかして、、、

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引き寄せの法則に初めて出会ったのは確か大学受験を控えた頃だった気がします。

 

ザ・シークレットの本が書店で平積みされているのを見て、

 

なんとなく手にしたのがきっかけでした。

 

でも視力がよくなったとか(当時一番抵抗があった記述がこれだった気がする)

 

当時の自分の思考の枠組みではどうしても理解できなかった。

 

というか疑いの目が強すぎたので、あっさり拒否します。

 

 

それから色々な自己啓発やスピリチュアルな本を読んでいって、

 

また10年後に再会した時には当時ほど抵抗は見られなくなってました。

 

ただし、今の自分が使いこなせている訳ではないので、

 

まだまだ抵抗が残っているんだろうな、と思うものの、

 

これまでの人生を振り返ってみると、

 

あれはあまりにもうまく行き過ぎていたよなと信じるしかないような

 

引き寄せかもしれないと思える出来事も確かにあるのです。

 

 

つまり少しずつではあるものの、疑い→信じるにシフトしてる途中と言った感じ。

 

そうここで本タイトルなのですが、

 

まず前提条件として引き寄せをうまく活かすためには、

 

「信じている」ことが必要な訳です。

 

ここが私たちにとって最難関な訳で。。。

 

私たちは事実(現実)を見て→信じるというプログラムが強く働きすぎるので、

 

いつまで経っても心の底から信じることができません。

 

裏を返せば「信じたいけど、まだ疑いも捨てられていない」という状態で、

 

一生懸命イメージしたり、アファメーションしたりしている。

 

そしたら、まぁ当然中途半端な形で引き寄せますよね。

 

そして疑いが捨てられないようなものなので、当然見て→信じるに達しない。

 

こうなるとやっぱり「うまくいかないじゃん」て疑いを強化しますよね。

 

「うまくいってない(正確にはうまくいってるかもしれない)」の結果を見て、

 

信じるかどうかのスタンスを決める訳ですから。。。

 

 

ここすごく自分でも重要なポイントだなって感じてて、

 

よく「あり方が大事だよ」って言われますけど、

 

あまりに見えるものだけを信じる世界に洗脳されすぎちゃってるなと。

 

この信念をどうにか緩めることからまず始めた方が良さそうですね。

 

赤外線とか紫外線って人間の目には見えないけど、あるよな〜とか、

 

動物には聞こえるのに人間には聞こえない音も、あるよな〜とか、

 

そういう目に見えないけど確かにあるってことは証明されてるものを

 

もっと意識して見聞きして、抵抗感を下げていくとかね。

 

 

長くなったので、そろそろ締めようと思うんですが、

 

最近もう一つ上手くいかない原因があるんじゃないかと感じてて、

 

それは「変化に対する抵抗感」です。

 

 

多分、どれだけ頭で引き寄せのことを信じよう信じようとしても、

 

無意識のレベルで「変わりたくない!!!」と強烈に反発してたら、

 

それがもうすでに引き寄せられてるって可能性です。

 

 

顕在意識(せっせとイメージしたり、アファメーションする箇所)の努力は

 

潜在意識との比で考えてみても、絶対に勝てる訳ないんですよ。

 

1(顕在):9(潜在)くらいの割合ですっけ?

 

無理でしょ。。。いや絶対に無理なんですって。

 

ホメオスタシスだって働いてるんですから。

 

よっぽどの火事場の馬鹿力を要するような緊急事態じゃない限り、

 

顕在意識の部分だけで引き寄せを起こそうなんて、無理。

 

だから潜在意識に向けて「変化を受け入れます」とか「変化を楽しみます」とか

 

まずそっからアプローチしてっていうステップが必要なんじゃないかな、と。

 

 

なんかそういう潜在意識のブロックを外す工程の説明抜きに、

 

一気に引き寄せの手順に入ってるから引き寄せ難民が続出するんじゃなかろうか。

 

かくいう私がその一人なんですが。。。

 

まずはホメオスタシスを欺けるように少しずつ変化を促していこうと思います。

 

 

この世界を愛しましょう。この世界で起こるどんな出来事も受け入れ、愛しましょう。

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私はずっとこの世界は悪いことばかりが起こる、恐ろしい世界だと思ってきた。

 

なぜそう思ったのかは、おそらく幼少期の周囲の大人たちの不和だったり、

 

その思い込みから生じた様々な出来事だったように思う。

 

結果私はいつも未来に起こる恐ろしい出来事を想像しては、恐れの感情を抱いたり、

 

過去の恐ろしかった出来事を思い出しては、その味を何度も確かめたりしてきた。

 

でも実際に今この瞬間には何も起こっていないのだ。

 

呼吸をして静かに現状を顧みれば、それは想像でしかない。

 

私が信じたストーリー(思考)にしがみ付いていただけにすぎない。

 

 

そして私はこの世界を信用していなかったんだなと気付いた。

 

不信感や恐れでこの世界に接していた。

 

世界の側からしたらどうだろう?

 

いつも不平不満や愚痴ばかりで、自分を恐れ、嫌う相手のために、

 

何かサポートしてあげたいと思うだろうか?

 

私だったら嫌いな相手に好意的なことをしてあげたいなんて思えない。

 

なのに私は世界に対してずっとそうしてきた。

 

 

今この瞬間に不平不満を言い続けてきたのだ。

 

感謝が大事だとよく引き寄せの世界では言うけれど、

 

あぁまさにこの瞬間与えられているものに感謝せずに、

 

なんてわがままなことをしてきたんだろう。

 

 

愛そう、自分から。

 

いつも私を生かしサポートしてくれる、この世界を。

問題なのは実際にあるかどうかではなく、見るか見ないかだ。

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「もし不幸を見なければ、不幸はどうなるだろうか?」

 

今読んでいる本の中に一縷の望みを見た。

 

実際に不幸であるかどうかはどちらでもいいのだ。

 

それよりも今それを見るか見ないか。

 

もし見ないとするならば、視界に存在しないのだから、

 

実在しても実在しないのと何ら違いはない。

 

 

私はこれまで悲惨な過去のせいで、人生がうまくいかないのだと思ってきた。

 

それは言い換えれば、いつも今を犠牲にして、過去を見続けてきたということ。

 

過去が存在するのは、今それを見るからで、見なければ「ない」と同じ。

 

これは未来にも言えることで、それを見るか見ないかは、

 

「今」、「自分が」、選んでいる。

 

 

過去と向き合い、傷を癒すことも必要かもしれない。

 

未来を見据えて、傷付かないようにすることも賢明かもしれない。

 

でもそれ以上に、自分が「見る」から「存在する」ということに自覚的でいること。

 

 

見たくないもの、手放したいものは、視界から今すぐ外すべきだ。

 

今ここにない、過去の怒りや恨みも、未来への不安や恐怖も。

 

過去の出来事をベースに創り上げた誰かや自分への思い込みも。

 

 

見るべきは、「今」「ここにあり」「拡大したいもの」。

 

そうじゃないものは無自覚に見続けないようにしたいものだ。

 

 

過食症もパニックもアトピーも鬱も、すべては被害者意識にどっぷり浸かった自己愛欠乏症。

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 前回の記事を書いた後、出会ったバイロン・ケイティのワーク。

 

シンプルな4つの質問と置き換えによって、

 

パラダイムシフトが起きる仕組みになっている。

 

そしてどんな問題にも必ず行き着く答えがあった。

 

 

「私は私を愛していない」

 

 

自己愛が不足した(というより愛を受け取れない精神構造)状態は

 

どんな問題にも通ずるものがあって、

 

それがすべての根っこになっていると気付く。

 

そして私は被害者という立場を創り出すことで、

 

この自己愛問題を先送りしてきた。

 

被害者でいれば、自分がダメだと感じることから逃げられるけれど、

 

問題と向き合う機会も同時に喪失する。

 

というか被害者意識の時点で他者への怒りに同一化しているので、

 

よもや自分に非があるなんて気付くことができない。

 

悲劇を繰り返しているのは、間違いなく自分の歪んだ精神構造なのに、

 

私がしてきたのは問題の表面的な解決に向けた努力や、

 

責任転嫁することで負の感情の中に埋没するということだった。

 

 

でも解決しないまま数年が経っているこの状況を考えても、

 

私は根本的な解決策を見出せないでいるということ。

 

 

その中で一つ思ったのは、

 

私が両親を恨んでいるということだった。

 

私は父の精子と母の卵子という完全に二人から出来上がっているというのに、

 

その両方を内在しているというのに、二人を心から締め出してきた。

 

私は二人に対して怒っているつもりで、自分に怒りを向け続けてきたんじゃないか。

 

 

ふと何年も会っていない父に連絡してみようかと思った。

 

そしてずっと口を聞いていない母に声をかけてみようと思った。

 

私は私を愛していない。

 

それはつまり私は両親を愛していないということと同義なのかもしれない。

 

まずはOKを出すこと。そしてどっちでも良いと手放すこと。

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今日は夕方まで寝てしまいました。

 

ニュアンスで何となく分かるかもですが、

 

私は寝すぎてしまうととんでもなく罪悪感を感じます。

 

「何もしていない」「時間を無駄にしてしまった」「何の成長もしていない」

 

と自分を責めます。

 

何とかセドナメソッドを使って感情を解放。

 

外出をしました。

 

その日は何も食べていなかったので、新鮮な野菜を食べなければと

 

思考で無理やりミニトマトを買って食べました。

 

でもそのあと割引券を使ってドーナツを食べたんです。

 

過食症のきらいもある私ですが、いつもの満足感や安心感を得たいという

 

欲求に「お買い得になる」という満足感が加算されて制止に失敗。

 

そして中庸でいようと心がけますが、

 

「無駄遣いしてしまった」「体に悪いものを食べてしまった」

 

「また完璧にできなかった」「どうせ何事も上手くいかない」

 

という内的対話に屈し、暴食。

 

暴食の結果、精神が不安定になり、ヒステリー発作。

 

母への恨みが顔を出し、自死念慮がちらつきます。

 

何度セドナメソッドをやっても、母を許そうとしてもダメ。

 

自分の内面の問題だと言い聞かせてもダメでした。

 

 

結局、泣きながら何とか帰宅。

 

そこで一旦全てにOKを出すことにしてみたんです。

 

まず過食してしまった自分も、完璧じゃない自分も、

 

今現在ヒステリー状態の自分も、死にたくなってる気持ちも。

 

そしたら、少し静まってきて、

 

とにかくどんなことに対しても全部OKを出してみる。

 

この際、倫理観とか常識とかは一切無視です。

 

自分のあらゆるものにOK出せるようになると、

 

母への恨みがキープできないんですね。

 

当然ですけど、自分を100%許容していくと、

 

他人を裁く理由が消えていくんです。

 

それでも許せない感じがしたら、多分まだ自分の中にNOがある。

 

 

そして究極はどっちでもOKの許可を自分に出せたら、

 

許せても許せなくてもOKだよ。

 

どっちにしても何も違わないよって自分に言ってあげられたら、

 

なんか溶けました。

 

うん、これ使えるかもしれない。

 

 

今、自分の中の使命として、「人を癒す」ということを考えています。

 

そして誰かの手を借りるんじゃなくて、

 

自分で回復していくことができるメソッドを探せないかなって思います。

 

うん、それ探します。

鏡の法則、知ってただけで分かってなかった。

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スピリチュアル系でも、自己啓発でも、割ともう常識となった鏡の法則

 

投影の法則って言ったりもするっけ。

 

理論的に反論の余地もないし、納得は出来てるつもりだったけど、

 

自分の都合の良いとこだけというか、

 

やっぱりネガティブな気分にさせられる相手に、

 

「あぁこれは自分の内面を見せてくれてるんだな、感謝」とか

 

思えない訳で、どこか抵抗したい気持ちが残ったままでした。

 

 

でも、最近母親との関係性を中心にいろいろと考え始めたら、

 

やっぱり自分の声なんですよね。

 

母は本当に悲観的で否定的な人(これも私の偏った解釈なだけ)なので、

 

いつも否定ばっかりしてくる相手(これも私の偏った解釈)だと思っていました。

 

 

ただこれを冷静に見てみると、

 

母の発言そのものには意味がなくて、

 

まずその発言に自分の解釈をするという第一段階があって、

 

そしてその解釈に対する自分の感じ方が第二段階を経て、

 

母はいつも否定してくる存在で嫌だという第三段階に着地する。

 

 

まだ今日気づいたばかりで完全には物にできてないんですが、

 

例えば「人に甘えてはいけない」という解釈を私が持っていたとして、

 

「人に甘える人は嫌いだ」と感じていたとします。

 

もし母が「いつも人に甘えてばっかりやな、あんたは」っていう発言をしたら、

 

当然私はネガティブな反応をします。

 

 

それは母の発言そのものに、私のあり方を否定する力があるんじゃなくて、

 

私の内面にネガティブな反応を引き起こす元があるということ。

 

母のことをいつも否定してくる相手だと思っていること自体も元になります。

 

 

もし、母のことを「私のことが大好きな親バカ」だと思っていて、

 

幼少期に自分が甘えると周囲の大人が喜んでくれたりしたとしたら、

 

「人に甘えることで周りの人が喜ぶ」(ちょっと極端かもですが)

 

という信念を持つようになるかもしれません。

 

そうすると同じ母の「いつも甘えてばっかやな、あんたは」は、

 

自分を否定するものでも、ましてネガティブなものでもない訳です。

 

 

同じ文章でも前提条件が違えば、そこにある意味が違うのと同じこと。

 

自分の中にない信念に対して、どれだけ他人が意図を持って、

 

影響を与えようとしても何も変えることはできないってことなんだと思います。

 

 

もっと言うと「自分に向けて言われてると感じない」。

 

だって自分の中にない信念なんだから。

 

「やい!宇宙人!!」って言われて傷つきますか?

 

「やい!日本人!!」って言われたら?

 

まぁ宇宙人って思ってる人もいるかもだけど(汗)、

 

おそらく文脈の感じとかこれまでの経験から、自分の中にあるものが該当した時、

 

初めて自分の中に取り込むんじゃないでしょうか。

 

 

だからレビューとかって参考になるようで、

 

参考になんないよね。

 

人の数だけ前提条件があると思うし、

 

自分が体験した時には自分の中の何が反応するかなんて分からないわけだから。

 

 

まとめられそうでまとめられないけど、

 

途中経過を記録しました。

 

またしっかり観察して体系化できたら追記します。

 

内面世界が外面世界を作り上げている。

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これまでも何度かそういう類の内容には触れてきたのに、

 

なぜかこれまでとは違う受け取り方をする時がある。

 

腑に落ちるとはまさにこんな感覚なんだろう。

 

 

心の中にしっかりと根を張った考え方は、

 

たとえ無意識の領域に落ちても、ずっと機能し続ける。

 

 

0〜7歳は「刷り込み期」と呼ばれるらしいのだが、

 

おそらくここで出会う人たちの中で最も強力な影響を受けているのは親だろう。

 

例えばそれは仕事に関する思い込みだったり、

 

自分自身や他人との関わり方だったり、

 

お金に関する態度だったり、

 

人生を構成するもの、すべてにおいて。

 

 

例えばお金に関して言えば、私の父は浪費家で、

 

母はいつもお金がない、ないと愚痴をこぼし、嘆いていた。

 

また母にお年玉を親戚の前で回収されてすごく恥ずかしい思いをしたことや、

 

欲しいゲームを買ってもらえなくて、親や姉の祖母のお金に手を出したこと、

 

とってもいない銀行口座のお金を盗んだと母に疑われ、叱責されたこと、

 

お金を誰かから貰うときは遠慮して申し訳なさそうにすることを教えられたこと、

 

そして究極には「我が家は貧乏だ」という思い込みや、

 

「お金はそんなに必要じゃない」と言った信念。

 

 

どう考えても私は「お金」に対して、良い印象を持っていなかった。

 

そしてその内面世界通りに外面世界が合わせてくれていた。

 

 

仕事を変えたり、増やしたりして、

 

外面世界をなんとか変えようとするよりも、

 

まず内面世界でどんな思いこみが根を張っているのか、

 

しっかりと書き出して、点検した方がいいかもしれない。

 

そして不要な思い込みは手放していく。

 

 

両親のお金に対する態度は、見事に私にミックスして受け継がれた。

 

私は浪費家で、かつお金が不足することへの恐怖に日々支配されている。

 

多分、これはお金の分野だけでなく、

 

あらゆる面で私は父と母のミックスなのだ。

 

反面教師にしようと強烈に思考を転換しなかったものについてはほぼ例外なく。