WE BECOME WHAT WE THINK ABOUT

自己愛改善ラボログ

感じる力 > 考える力、内側の状態 > 外側の条件 でぇす!!

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あなたは「自分の人生、最高!!」って心から言えますか?

 

これ抵抗なく言える人って、どのくらい日本にいるんでしょうね。

 

で、この記事で扱いたいのは、言えるかどうかというよりも、

 

このセリフの在り方について、考えてみたいと思うんです。

 

まずこのセリフ、どう考えても「感情」を込めないと、

 

まったく、そうまっったく、意味ないと思いませんか?

 

このセリフに根拠があろうがなかろうが、

 

ただ感情込めて目一杯言えるかどうかがミソやと思うんです。

 

言うてみれば、小さな子どもが「最高!!」って言ってるみたいな。

 

一方で、「お金があって〜、高学歴で〜、高収入で〜、」

 

みたいないつまでも恋人ができない人の相手に求める条件のように、

 

根拠があった上で「最高!!」って言ってる場合、

 

確かにそうかもしれないけど、インパクト弱くないですか?

 

あ〜だ、こ〜だ、理由並べ始めると何か弱い。

 

これ結局、私たち人間は、「感情」の方が「思考」よりも

 

絶対的だと知っている証拠じゃないかなと思うんです。

 

逆を言えば、どれだけ良い条件に恵まれたとしても、

 

それを「感じる力」が弱ければ、物事も小さくなっちゃうんじゃないでしょうか。

 

逆に「感じる力」が強ければ、どんな些細なことでも大きくできる。

 

 

つまり、幸せとか楽しさとか、そういうのは、

 

出来事や条件によって、定量があるわけじゃなく、

 

あくまで受け取る私たち自身の「感度」の問題なんじゃないかと、

 

最近私は思うわけです。

 

 

何食べても「うまい〜幸せ〜」とか、

 

何してても「楽しい〜最高〜!!」とか、

 

そうやって生きていける方が最高やと思うんですよ。

 

でも今の時代は「食べログの評価が悪いからやめとこ〜」とか、

 

「あぁ、あの人の生活楽しそうでいいなぁ〜」とか、

 

そうやって頭で判断しては、数値化して、感じることをおざなりにしてる。

 

そう私は思うわけです。

 

 

だからね、外側の条件がどれだけどれだけ整っても、

 

内側の状態をメンテナンスしておかないと、

 

なんにも感じないんじゃないかなーって。

 

 

そして、もし何も「最高だと思うものがない!!」って

 

頭が(あくまで、頭な。だって実際には探せば最高なものってあるはずだから)

 

言うなら、それは頭がそうプログラムされちゃったからで、

 

言葉にしてリプログラムしちゃいましょう。

 

「私の人生、最高でぇす!!」

 

きっとそのうち頭がその理由探しを始めますから。

 

そして、何よりもまず、深刻に人生を考えるのをやめて、

 

大いにふざけて生きましょう。

 

私、親が大真面目だったので、冗談まったく言えない人なんですけど、

 

(しかもコテコテの大阪人なんですけど)

 

それでもこれからの人生はスベりまくってもいいから、

 

自分で自分を笑わせてあげられるくらいの人間になりたいと思ってます。

 

今後、文体がおふざけ調になってるかもですが、それでもOKでぇす。

 

では。