人生は壮大なゲーム。自分も、現状も、他人も、出来事も、過去も未来も、すべて練習課題。
今日もまた同居している祖母が聞こえていると知ってか知らずか、
「仕事もせんと寝てばっかり」と私の陰口を台所で言っているのを耳にしました。
実情は面接も受けているし、選考途中なのですが、
祖母からしたら、そう見えるんでしょう。
弁解したい考えや、自己否定しそうになる気持ち、
悲しみや怒り、いろんな声が頭の中で一気に展開していきました。
でも、冷静に「明るくていい気分にはどうすればなれる?」と
衝動的に怒りで言い返したい気分を抑えて考える事が出来ました。
そして一つの考えが浮かびました。
「祖母は明るくていい気分でいるための練習相手なんだ」と。
自分一人だけの世界であれば、明るくていい気分になりやすいですが、
他人が介入してくると途端に難しくなります。
でも、それを今練習しているんだと感じました。
そういう観点で考えてみると、自分自身も、現状も、過去も未来も、
あらゆる人間関係も、様々な出来事も、実は全部練習だったんじゃないかと。
その時、あなたはどんな反応をしますかと、いつも問われていた。
そう思えてきたのです。
そしてその時々で「自分の意志」以外のもので反応し続ける時、
途端に人生の主導権を失ってしまうのではないでしょうか。
しかも祖母を観察していると、面白いことに、
これまでの自分を見ることもできるのです。
人の欠点ばかりを探し、そのことに対してまっとうなことを偉そうに言って、
自分のセルフイメージを強化し、勝手に怒りを抱いてしまっている。
そしてその結果、体に病として支障が出ている。
「被害者」として「害」を引き寄せているのです。
今、いろんなことが人生に起きています。
でもそれは間違いなく自分の思考の結果、起こっている気がします。
問題として立ち上がるものは、その問題を生み出している思考があるという
それはとてもありがたいシグナル。
そして現実に反応して同じ思考を繰り返し続ける限り、
よりその思考を強化し続けるので、現実はさらに手強くなっていく。
じゃあどうするのかは、ここのところ繰り返しているように、
ネガティブな気分になったら、新しい思考(解釈)を意図的にする。
それですぐに変わるほど現実は簡単じゃないけれど、
それでも今までと違う思考を意図的に選択し続ければ、
必ず変化は訪れると思うんですよね。
根拠なんかないけど、変な確信はあって。
それでいて成長曲線から考えて飛躍的にその変化の兆候が見られるのは、
1年後くらいかなって感じで、気長に死ぬまでやり続けたい。
人生をゲームとして楽しめたら、きっとうまくいくはず。