ストレスは、あるがままの現実に異を唱えた時に、生まれる。
今起こっている全ての現実は、良いも悪いもなく、ただ存在している。
そこに私たちの思いや願いなどの個人的な解釈が付けられて、
時に喜び、時に怒り、時に哀しみ、時に楽しんだりしているのだ。
実際は、「無」だ。
私はずっと自分のことを常識的な人間だと勘違いして生きてきた。
ある見方をすれば常識的かもしれないけれど、
それはある意味で刷り込まれているエゴを盲目的に信じていただけだった。
「〜であるべき」
「〜でなければならない」
「〜した方が良い」
「もっと〜であれば」
これは全部、今起こっている完全な現実に対して、ノーと言っている。
あるがままの現実に対して、起こりえない現実を要求しているのだ。
そしてそれは一生叶うことがないのにも関わらずだ。
だって今目にしているのに、そうじゃないものが正しいと言っている訳で、
見ているくせに、見て見ぬ振りをして、ないものを求めている。
それがストレス。
過大な自分への期待、他者への要求、現実への妄想。
自分の考えを手放すのだ。
自分が考えていること、ラベリングしたこと、全て剥がして、
ただあるがままに、何も変えずに、現実を眺めてみる。
100%これでいい。
なぜならそれがあるから。
私は今日、自分の予測していた通りにならなかったことでストレスを感じ、
過食衝動に負けてしまった。
でも冷静に考えれば、起こっていることが現実で、
私の予想が私のエゴによる妄想だったことに気付く。
ずっとこれを繰り返し続けてきたんだ。
あるがままの現実を受け入れず、自分の理想のストーリーに沿わないと、
焦り、怒り、嘆き、悲しみ、衝動的になり、感傷的になった。
確かに受け入れがたいことも現実としてあるけれど、
それが現実なのだし、それしかないのである。
それ以外はあなたが勝手に作ったストーリー。
ストレスフルな人ほどエゴに飲まれている可能性がある。
自分のハンドルを握っているのは意識かエゴか。
感情はいつも教えてくれる。