母親の幸せの為に、自分を犠牲にする必要はない。
「母親を幸せにしなければ」「母を守らなければ」
幼心に私はきっと、家族の中で弱者の母を幸せにしようと誓ったのだろう。
母親の為に自ら進んでお手伝いをし、
できるだけ母の手を煩わせないように過ごし、
母が喜ぶことはなんでもしたいと思って生きてきた。
自分の第一希望のつもりであっても、その実、母の希望を優先してきた。
母の顔色をいつも伺い、これで自分の言動は合っているのか確かめてきた。
父から母を守りたい。
祖父母や義姉から母を守りたい。
その一心で、私は生きてきた。
もうすっかり顕在意識に上ることがなくなっても。
でも当然、我慢はどこかに支障をきたす。
自分を犠牲にした「母のため」はやがて大きな不満と、
それを抑圧してきた結果の恨みや怒りへと変化していった。
「母を幸せにしたい」「母を守りたい」という意識と、
心の中に澱のように積もっていく怒り。
その怒りにも罪悪感を感じ、さらに抑圧し続けてきた。
その結果が持病のアトピーなのかもしれない。
もういいのだ、母のことは。
幸せにしたい、守りたいという想いを捨てる必要はない。
ただ、その前に「自分を愛でいっぱいに満たしてあげてから。」
という大前提を忘れてはいけない。
私は「母の幸せ」の為に生まれてきた訳じゃない。
ましてや子どもの私にそれができなかったからといって、
自分を責め続け、罪悪感に苛まれ続ける必要はないのだ。
私は私の幸せのために、ここに在る。
私は自分を愉しむために、生まれてきた。
そして私が自分を愛でいっぱいに満たし、心の底から満たされた時、
初めて母に向き合えばいい。
母に愛されなかったから、今の自分は上手くいかないなんて、
被害者意識を持つのはやめて、生育歴から自由になっていい。
LOVE MYSELF COMPLETELY!
(自分自身を徹底的に愛そう)