過食症もパニックもアトピーも鬱も、すべては被害者意識にどっぷり浸かった自己愛欠乏症。
前回の記事を書いた後、出会ったバイロン・ケイティのワーク。
シンプルな4つの質問と置き換えによって、
パラダイムシフトが起きる仕組みになっている。
そしてどんな問題にも必ず行き着く答えがあった。
「私は私を愛していない」
自己愛が不足した(というより愛を受け取れない精神構造)状態は
どんな問題にも通ずるものがあって、
それがすべての根っこになっていると気付く。
そして私は被害者という立場を創り出すことで、
この自己愛問題を先送りしてきた。
被害者でいれば、自分がダメだと感じることから逃げられるけれど、
問題と向き合う機会も同時に喪失する。
というか被害者意識の時点で他者への怒りに同一化しているので、
よもや自分に非があるなんて気付くことができない。
悲劇を繰り返しているのは、間違いなく自分の歪んだ精神構造なのに、
私がしてきたのは問題の表面的な解決に向けた努力や、
責任転嫁することで負の感情の中に埋没するということだった。
でも解決しないまま数年が経っているこの状況を考えても、
私は根本的な解決策を見出せないでいるということ。
その中で一つ思ったのは、
私が両親を恨んでいるということだった。
私は父の精子と母の卵子という完全に二人から出来上がっているというのに、
その両方を内在しているというのに、二人を心から締め出してきた。
私は二人に対して怒っているつもりで、自分に怒りを向け続けてきたんじゃないか。
ふと何年も会っていない父に連絡してみようかと思った。
そしてずっと口を聞いていない母に声をかけてみようと思った。
私は私を愛していない。
それはつまり私は両親を愛していないということと同義なのかもしれない。